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コンビニおにぎりは1点だけど袋麵は0.5点 『自分のために料理を作る』より

こんにちは、山口祐加です。『自分のために料理を作るー自炊からはじまる「ケア」の話』が発売されて4ヶ月が経ち、売れ行きが好調で毎月重版して今回で4刷になりました…!自分が書いた本が手元を離れて、この本を受け取った方々が育ててくれているような感覚です。手に取ってくださった皆さん、本当にありがとうございます。

重版を記念して、本書の第二章である自分のために料理できない6名の方と精神科医の星野概念さんとの対話から一節をご紹介します。このレッスンは6名の方と毎月二時間のレッスンを3ヶ月かけて行いました。その第二回において、星野概念さんと私と参加者の3名で日々の料理について感じていること、レッスンを受けたことで変わってきたことについて話をしています。今回は30代の男性会社員で妻と二人暮らしの藤井さんのところから抜粋しました。


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炊事は好きで、日頃は妻のために夕食を作っている。しかし、妻が不在の夜や、自分一人でテレワークしている日の昼などは、ほぼ炊事をする気にならない。自分の中で何が違うのかを知りたい。一人で食べるってどういうことなのだろう、楽しんで食べるってどういうことなのだろう、そんなことを考えるヒントになるとよいなと期待している。

「自分のために料理ができない」とは

山口 藤井さんと初めてお会いしたとき、Twitterにアップされていた手料理がすごくおいしそうだったんです。食材は庶民的だし、盛りつけもすごくこだわっているわけではないけれど、技術は申し分なく、料理好きな人が作ったんだなというのが一目でわかる。そういうお料理を作れるのに、自分のためには作れないというのが不思議で、そこを聞いてみたいと興味が湧いたんですよね。

星野 袋のラーメンなんて、さすがに僕でも作り方わかりますが、それすら自分のためにはやりたくないという感じだったのでしょうか。

山口 袋麵を食べるときは必ず野菜を乗せなきゃいけない、と無意識のうちにルール化されていたようです。その無意識のルールを客観的に眺める作業をしたことで、野菜がなくても食べられるようになった。藤井さんの場合は、普段の生活でしっかり野菜はとれているのだから、たまには炭水化物だけの食事があっても、健康貯金が若干目減りするだけのことです。全然いいんじゃないですか、とお伝えしたんですよね。

星野 なるほど、そういうことでしたか。

山口 このレッスンを始めて感じたのは、そもそも「自分のために料理ができない」と悩む人は、実はすごく「考えている人」なんだな、ということです。コンビニ飯や冷凍食品ばかり食べていて心も身体も平気な人、それが普通で特に問題ない人は、たくさんいる。その一方で、パートナーに作るのは苦にならないのに、自分だけだと作るのが億劫になることに悩む藤井さんのような方もいる。

星野 僕も自分のために何かを作ることに対して腰が重いのですが、それはちゃんとしたものを作るべきだと思っているからかもしれません。実際には適当でもいいはずなのに。

山口 パンを焼くとか、アルミの皿に入って売っている鍋焼きうどんをコンロにかけて卵を落とすのだって、自炊ですよ。
人間は日々、食べていかなきゃいけません。食事作りは、非常に外部化しやすい家事です。外食もあれば惣菜を買ってくることもできるという選択肢の広さや頼りやすさがある。だからこそ人それぞれに「これ以上は外に頼りすぎだ」というラインがあって、その線を超えると自分が嫌になってしまうのだと思います。

星野 でも、スキルはあるのに一人になるとそれを発揮する気にならないというのは、すごく面白いですよね。他にもそういう人、たくさんいるんですか?

山口 結構いると思います。でも、自分のために作れるというのは「究極の自由」を獲得することですよね。薄味が好きなパートナーへの遠慮も一切いらないわけで。

星野 確かに。

山口 面談で藤井さんは、「自分はそんなにご飯が好きじゃないのかも」とおっしゃっていました。食べることへの情熱が強くないせいもあるのかもしれません。必要性があればしっかりやるけど、と。でも、「自炊のことはずっと課題として考えてきた」ともおっしゃっていた……。

星野 そのミステリアスな、単純な足し引き算じゃないところが藤井さんの魅力、人間味ですよね。

コンビニおにぎりは1点だけど袋麵は0.5点

山口 藤井さん、お帰りなさい。いかがでしたか?

藤井 自分の話を他人がしているのを聞くのは、面白いですね。
お二人のお話を聞きながら思い出したのが、「仕事だとできる」ということです。私は普段片づけや整理整頓が好きではないのですが、会社の総務部に勤務していたときは社内の片づけをちゃんとしていたし、経理の仕事もできていた。人のために料理を作るのは、自分にとっては「仕事」なんだろうと感じています。

山口 会社での労働には賃金、家族のための家事には感謝や愛情という対価があるけれど、自分のためとなると対価がないと感じてしまうのかな。

藤井 対価がないのに加えて、責任がないということですね。私が食事の支度をしなければ妻が困るという状況に対して、一人のときは困るのが自分だけですから。あまり自分を大切にできないということなのかもしれませんね。人のために作るのは好きなのだと思います。以前は自宅でホームパーティーを開いて、それこそ小料理屋形式で作ったりもしていました。

山口 藤井さんご自身は、何かしらの対価を設定して、一人でも作れるようになりたいと思いますか?

藤井 困らなくなりたい、というのはありますね。今日も午前中の仕事がなかなか終わらず、お昼一二時頃からお菓子を食べ始めてしまって。これはまずいと切り上げて、ラーメンを作ったんですが、それでちょっと落ち込みました。忙しくない日でも昼食が二時、三時になってしまうことはあって。そうならない方が自分の幸福度が高いことはわかっているので。

山口 そうならないためのとっかかりとして、必ず幸せになれる目玉焼きを発見されましたよね。

藤井 そうですね。

山口 そういう「許せる食事」がもっと増えるとラクになりますよね。

藤井 私は、外食でメニュー選びに困ったとき一番上に書いてある料理を頼んだり、お腹が減ってコンビニに来たはいいけど何を買えばいいか決められないときには、「ランチパック」のピーナッツ味にすると決めていたりするのですが、そういうのが必要だなと思いました。

山口 藤井さんの場合、人のために作るときには、許せる・許せないラインとはまったく違う次元にいるけれど、自分のためにとなると、許せる・許せないラインが浮上してくるんですね。

藤井 そうですね。コンビニでおにぎりを買ってくるのと、レトルトご飯をチンして食べるのと何が違うんだ、カロリーや栄養価、満足度もほとんど同じだろう、と思われるかもしれませんが、私としてはコンビニおにぎりのほうが「それだけで食べやすいもの」なんです。コンビニのおにぎりは許せる。レトルトご飯だけだとなんか許せない。でもそこにコンビニの焼き魚がプラスされれば、オッケーになる。

星野 面白いな、すごい。

藤井 レトルトご飯は私の中で、0.7点の食材という感じなんです。袋麵も0.5点で、生卵を乗せると0.2点上がる。野菜炒めが載るとさらに0.2点、みたいな。一方で、コンビニで買ったおにぎりは1
点分ある。

山口 面白いですね。

星野 つまりコンビニで買ったりレトルトご飯をチンするのが悪いという話じゃないけど、自炊という形になると腰が重い。それは僕もすごくよくわかるんです。コンビニに買いに行くほうが面倒くさいのに、それならできる。コンビニは一点だけど自炊するとギリギリ0.9点で、コンビニの方が勝っちゃうのも面白い。

メニューにモチベーションが上がるような名前をつけてみるのはどうでしょうか。よし、あの「幸せの目玉焼き」を今日は乗せるか、と思うだけで、同じ料理が0.5点から0.8点に跳ね上がるかもしれない。そういうコツってあるんじゃないかと思いました。

藤井 ネーミングはいいですね。

山口 コンビニのおにぎりって、各社それぞれに社内のフローを経て商品化されているわけで、最大公約数的なおいしさをクリアしたお墨つきなわけですよね。その安心感が大きいのではないか。レトルトご飯+納豆は「商品」として完成されているわけじゃないから、自分の創造によって完成させるしかない。だから減点がされているのかなと。

藤井 そうですね。


気になった方はぜひお近くの書店さんやネット書店さんでチェックしていただけると嬉しいです!

以下にSNSでいただいた本書に関する感想をまとめておきます。

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山口祐加@自炊料理家
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