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読書感想文 Ⅲ / アートな言葉×メタファーとしての発酵
前述 アートって。。
✔「アートな言葉」マツゴウ語録 著 松岡正剛 / 求龍堂
きっと、元 嵐の松本潤さんをマツジュン。と呼ぶようにマツゴウ(松剛)語録なのだね
松岡さんの膨大な言葉の数々をテーマ別にまとめた名言集のひとつで、他には「切ない言葉」「リスクな言葉」などがあります
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日常生活の会話においてほぼ皆無な「アート」という単語
「愛」のように定義が茫漠かつ曖昧なので、心の準備なくふいに遭遇すると途方に暮れてしまう時がある
とか言いながら、うつせみヤのインスタグラムの職種欄はアーティスト (なぬ)
これには理由があり、この欄(プロフェッショナルボードという投稿数が一定に達すると自動的に表示されるやつ)は書き込み式でなく限られた項目の選択制になっており、「製造業、技術、芸術」など他の肩書がしっくりこなかったので悩んだ挙げ句、半ば強引に「誰しも人生のアーティスト」の意でそれを選んだ
(アートが何が解ってないのにアーティストてやっぱどうか、、 曖昧の良さもあるけれど)
肩書に関しては表記に囚われたら本末転倒だし、語義がハッキリしないまま使ってる言葉は山程あるけど、気になる事や理解しておきたい事に関しては可能な限りハラに落せたら嬉しい
アート、、
松岡正剛さんの流れる言葉のすき間に手掛かりが見つかるかな。と読み進めてみました(辞書などでは掴みきれない)
結論を言うと、その答えは明記していません
加え、補足のための本「メタファーとして発酵」も追加したので、感想文Ⅰで記した当初の予定より長くなりましたことのお詫びと、大層抽象的な話になってしまいましたこと先にお伝えさせて頂きます
よろしかったらどうぞ
著者紹介
松岡正剛さん
たしか、瀬戸内寂聴さんが『知の巨人』って評していらしたっけ
文化、美術、文学等、多岐にわたりながら重厚かつ軽妙に語り得る感じがわたしにはもう、著述家というよりマジシャンのように思われる
長年編集に携わり、雑誌『遊』の出版も手掛けていらした方
焼き物についてわたしの見解と異なるものもあるし傾倒はしていないけれど、なんというか、物事の切り込み方や思考の胆力がまるで文豪剣士なので拝読しているとつい袴姿の武士さんを彷彿とさせる感じ (注 あくまで個人的イメージです)
「アートな言葉」 内容感想
内容をマツゴウさんの言葉を借りながら超短絡的に口語体で要約すると、、
『多数決』ってなんだかだし、てか、出来たものうんぬんよりもマジ『方法に殉教』していたいわけで、自己主チョーばかりの『強がりの芸術』(主張するだけのクリエイティヴィティ)なんて『余白』ないし『つまらない』よね。みたいな感じ。。
キレキレなマツゴー節がページごと連なっている
共通して仰っているのは、方法そのものに着目し、ものごとの背景やその経緯に何があるのかということ
「余白」や「間」、「弱さ」や「負」
そこに潜むエネルギーこそに可能性があり、それは満足の美と同時に存在する不足の美であるのだ。とも
一方、手厳しい評価もされていて、日本風外国目線のヨカレ作品については、それって単なる輸入文化じゃん。と、仰る
読書感想文Ⅰでも触れた複式夢幻能については、人生の深淵を覗くとは何かを問うたもの、潜む負をもって再生を誓うドラマだ。と語られていた なるほど
日本庭園枯山水について
特に、『才能』という言葉の元々の意味に言及されているのが非常に興味深かった
それは、自然物(木、花、石、土)のなかにある『才』(さえ)という精霊をとり出す能力のことで、人がものを作る時、才をどう扱い彼らとどう関わり合うか。を指していたんだそう
才を活かした方法そのものが景色になっているのが枯山水であり、松岡さんはそれを『負の庭』と呼んでいる
なぜ水のない石組を並べて山水にしなければならなかったのか。が最も印象的だった
『何かをしたいなら、何かを分かりたくなり、、 (中略) 「わかる」は「かわる」、、変わるがわかる、、』
アートだけではアートは知り得ないし、松岡さんの仰る「変わる」のバイブスが発酵に近いと感じたので考察の為もう一冊追加しました
「メタファーとしての発酵」
✔ 「メタファーとしての発酵」 著 Sandor Elix Katz / オライリージャパン
発酵というと身近な食べ物であるお味噌醤油漬物等だけれども、メタファー(隠喩)だから発酵的発想を指す
といっても特別なことはなく、意識に上らないけれど日頃経験しているようなことらしい
アイデアが突如湧き、揺らぎと共に熱を帯び、想像を温め育み、心の泡立ちを再生の源にして新たな局面を穏やかに誘導するようなこと
たぶん、残りもので美味しい一品作ろうとか、noteにあれ書こうかなとか、あの人にありがとうと言えたらなとか、ささやかなきっかけから行動に繋がりほんのり気持ちが変わりえること、かな
一定環境下、静かにスムーズに調和を保ちながら全体がより心地よい状態へと移りゆく世界
思えば、身体さんは常にそれをしてくれていて腸内細菌や常在菌のお陰で生きていられる
メタファーとしての発酵の魅力は新しい形態を作り出せること、凝り固まった認識論を塗り変えてゆけることであるらしい
断絶隔離があれば異種が交ざるからこその発酵は興らない
単なる分別はさておき、のべつくまなく異なるものを排他して成り立つ純粋さは実は幻想であるとして、目に見えなくても根本的次元で相互関与し合っている微生物の『リッチ』な世界を紹介されている
思い出したのは、以前パンを作るため米麹と残りご飯を少しずつ足しながら酵母を自家製していた時のこと
その、日に日に、しゅわ°しゅわ°°、楽しげに、しゅわ°°°しゅわ°°°°してくる様子は確かにこっちまでリッチな気分になれたなぁ
本のページをめくってゆくと、顕微鏡で拡大された麹菌や黴などの息を飲むような姿が映された写真が散りばめられており、、発酵は特定言論の独占物にならない。との著者の方の熱帯びた想いあり、、、読み進めるうちに、ハタと思い出したのは粘菌学者南方熊楠さんのマンダラ図だった
巻末、松岡さんと別本「謎床(なぞどこ)---思考が発酵する編集術」で会話形式の共著作もされている、この本の監訳者ドミニク・チェンさんの記述がある
そこでcreativityの語源に遡り「人為的な制作」と「自然発生的な生成」ふたつのイメージが混在していることを指摘
お、きた。そのあたり、何がアートか否か、の境界線になりそう。。
まだまだ考えは未熟だけれども、とりあえず人間の創造物に関しては完全に片方だけって事はなさそうだから、意図の方向性に注目しながら背景のグラデーションを楽しむのもいいんだなぁ。と思えたのが読了一番の収穫でした
外への意図を伴う「制作/有為」と、内的変容を伴う「生成/無為」
もしかしたらそれらは別々のものというより、入れ子構造になっているのかもなぁ。。。
夏の読書感想文
終わり
最後までお付き合い頂き有難うございました
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ヘッダー画像の焼き物は親方成井恒雄さんの作品です
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