続・国との相性。国民性や食文化とかを交えた考察。
アフォガードが食べれるという情報につられて来たカフェ。アフォガード頼んどいてコーヒーも頼むというカフェイン中毒者です。
カフェで座った瞬間にすんごいスコールで動けなくなったので書きます。結果として書き終わらなかったので、夜飲みながら書いてます。
こっち来てからたまに書いてますが、国との相性について考えた時、必ず国民性というところを考える。散々日本人の国民性をボロクソ書いてる私ですが(すいません)、もちろん良いとこもあるわけで(例が思いつかなかった)。どの国に行っても、良し悪しを必ず見る。
暑い国の人というのは基本明るいと思っていたのだけど、私が今いるこの国はそうでもない。大人しいとは聞いていたけど、南国特有の明るさやハッチャケをあまり感じない。静かであり、うるさいのを嫌うのだ。私が日本の同僚と電話で馬鹿笑いしてると冷めた視線を送られる。
先日仕事の関係者の方と食事した際にもこの話をして、「私は音楽が鳴ったら踊り出す系の人種と気が合うんです」と話したら、この国の人は踊り出さないとキッパリ言われた。やはりそうかと、妙に納得したのを覚えている。
東南アジアは6カ国くらい行ってるのだけど(意外と少ない)、この国に滞在してみてなんか不思議な違和感を感じる。隣接する国々だけど、歴史的背景で当たり前だが大きく違うし、宗教が同じでも信仰の厚さも違うし、王国なのか社会主義国なのか共和国なのかでも違う。すいません、至極当たり前のことを書いてて。
日本人として、韓国や中国と一括りにされたくないのと同じように、東南アジアも一括りにはできない。むしろいくつかの国を見てしまうと共通点がかなり少ないのではと思ってしまう。
国との相性を考える時、前にチラッと食べ物が合わないって話を書いたが、これって国民性に通ずる部分がないかと考えた。
私は個人的にインド料理のようなスパイスガツン、塩辛めの味付けを好む。特に暑い国ではだ。汗かいて塩分抜けてるから自然な流れだと思う。が、東南アジアのいくつかの国では甘めの味付けというものが存在する。これ、厄介。暑い中で甘めって私にとってはかなりキツイ。なんせ頭痛くなったら塩を舐めるからよ。
そんなわけで、食文化という意味でも私はあまりこの国と相性がよくない。そして考察としては間違ってないと思う。食べ物の好みが合わない人とうまくいくかと言われたら、いかないと思うから。控えめな国民と控えめな甘めの味付け。なるほどなと思ってしまうのは私だけかいな?
違う視点で国民性を見た場合、国によって世代で大きく変わるのもある。
例えば私が長くいたミャンマー。軍政化で長く暮らしていた50代以上くらいは、全員じゃなくとも考えるのを放棄した世代だと思う。意見を聞くと思考停止みたいなのに始めの頃ビビったの覚えてる。反対に若い民主主義が物心ついた頃にあった世代は自由を求める、自力で権利を掴もうとする、考える力を持っている。
歴史的背景って当たり前だけど国民性にものすごく影響する。特に途上国では抑圧下にあったりすると、上の人は絶対という価値観や足掻いても仕方ないという考え方が植え付けられる。これって結構厄介だと思う。反対に若者は怖いもの知らずだったり。無意識に細胞に刷り込まれた何かというのは恐ろしい。
やばい、どんどんと訳がわからなくなってきた。今日もスカイバーで一人モヒート啜ってます。客が誰もいなくて笑える。
やっとこの国の人たちを理解してきたかなくらいのところで去るのは何か勿体ないが、それも縁なのだと思うことにした。
つい先程までこの人を訪問していた。帰る直前の挨拶になってしまったが、私的にはかなりこの国での濃いめの思い出であるので、最後に会っておきたかった。相変わらず軽い感じで話しててやはり楽しかった。
もう帰ると話したら「未練はないんですか?」と聞かれ、ないと即答してしまった。ないんだな、私よ。こういうとこで出るのは本音なんだと思う。未練はない。不思議だな、数ヶ月という単位で関わった国にあまり思い入れしないというのは。
でも出会った人、関わった人、それは大切である。でも私はこの国にずっと住みたいとは思わないし、旅行くらいならあると思うけど、また仕事したいとかもあまり思わない。不思議な感覚。でも関わる国が増えれば当然のことなんだろうとも思う。おもしろいものである。
さて、しょっぱそうなものをツマミに注文したのに一向に来ないっていうね。頼むぜ、おい。って書いてたら来た。うま。料理のセンスはなかなかであった。
それにしたって今日もぬるい夜風が気持ちいい。風が強いから目の前のソファのクッションが続々となぎ倒されている。この前はライムが吹っ飛ぶし。笑える。