その国のコンテクストに合わせた仕事って何だろな
その国のコンテクストに合わせた仕事をするって難しい。コンテクストって日本語で何だっけ?となり調べたら、文脈、背景、事情だった。事情が近いかな。日本語にピタリとくる言葉がなかったり、英語にピタリとくる言葉がなかったり、言語は奥が深い。
いきなり関係ないことから書く。日曜って憂鬱になるよねって話をスタッフとしてたら、「日本人は働くのが好きだからそんなことないと思ってました!」と衝撃のコメントをされた。んなわけないやろ。と思っていたら別の角度から日曜が嫌いという話を見て、あれ、私海外いるとそんなに日曜気にならんなと思った。日曜ならではのテレビを観ないだけでなく、そんなこと忘れてるからなんだろう。こんなところに良い海外生活効果。心が穏やかである。
本題に戻り。
海外で仕事をする、特に日本より発展していない国で働くとき、大きく分けて二種類の日本人がいると思う。①日本の組織で働いてるんだから日本流をゴリ押すタイプと②日本人的な感覚を残しつつも現地の感じに合わせるタイプ。
私は若いときは完全に①だった。そして人様はさておき、私は間違ってたと何年か経ってから感じた。なので今はどちらかというと②だと思う。
①から②になったのには理由がある。一つは良い意味での諦め。異なる文化で生まれ育ってきた人たちに押しつけられない、理解できないことなんて山程あるのだ。当時の私自身を振り返るとマジ異文化理解とかてんで笑ってしまう。なんて差別的な人間だったのだろうと思う。日本人様のようになってたと今ならわかる。残念な痛い野郎である。
諦めって別に悪いことではなく、自分が楽になるための方法でもあったと思う。日本の仕事はこうであるべき、人との付き合い方はこうであるべき、それに縛られてた自分は可哀想だと思う。自分が縛られてるから現地の人のことも縛ってたと思うし。そう考えると、それでもついてきてくれた当時のスタッフには感謝しかないかも。ありがとよ、みんな。
他の理由として一番大きいのは、ある国でお世話になった現地滞在10年選手くらいの方から言われた言葉。「私たちはこの国に居させてもらってるのだから、部外者なのだから」というもの。かくいうこの方は仕事には厳しく日本クオリティを求めるのだけど、それでもその国の文化や習慣をとても尊重していた。その国の文化と習慣に合う形で日本クオリティを出そうとしていた。
ちょいちょいスタッフを怒って、恐れられてはいたが、でも彼女にはスタッフを思う、その国を思う心があって、そして最後はその国の人に一番良かれと思うことをしていた。そんな人だった。
そんなわけで傲慢だった私も少しずつマシになり、それと同時に日本嫌い加速。ウケる。自分より酷い日本人様を何人も見て、しかも私より若い奴が私より上の現地人を顎で使うのを見て、本当に日本人様が嫌いになったのを覚えてる。
けれど②は②で問題がある。そのままの表現で言うならば、つけあがる問題。まさに昨日今日くらいでスタッフに甘い的なことをまさかの現地人から言われ、ちと反省している。でも厳しくキチキチやるのが全てとも思っていないから、どうすんべかね〜みたいなのんきな感じでいたら、今日また現地人に注意された。すいませんね、ゆるくて。
だからこの国のコンテクストに合わせた仕事の仕方にしていく必要があるのかなと思っている。私のやり方だけではやっぱりダメだなと。なんか、めんどくさ。っていきなり投げやりになるのであった。
意外と見られてるし、他の日本人とも比べられている。日本人が海外で現地人のことをとやかく言ってるのと同じくらい、現地人も日本人のこと色々言ってるのである。
さ、寝よ。