地元の話つづき。でもやっぱりボーダーレスでいたい。
朝ドラのおかえりモネを見ていて、以前書いた地元の話についてちょっと反省した。ていうかモネ終わっちまった。。なんと1ヶ月も下書き保存されていた。なのでだいぶ回想的な感じです。
モネが地元の気仙沼に帰ることを決めた回を見ていて、その後の展開がある程度予測できたとしても、地元への特別な想いを持って、一度は地元を離れ、また戻る選択肢をする、その選択をして同じように悩む人はいるだろうと思った。私には当てはまらないし、そもそも東京だとそんなに地元感も地域感も出ないからだろうけど、それでもとても考えさせられた。
帰る場所があるのは本当は素敵なことなのかもと。
ついつい自分に当てはまらないことや一般的な常識押し付け日本文化への反発で否定的に書いてしまったが、実際に地元やそこに根づく人たちがいなければ、大切な文化も伝統もなくなってしまう。それは離れた人が守れないものであって、そこに残る人たちによって守られたものなのだと。
今回また東京に出てきて、この色んな人がいる環境に身を置いてみて、自分のアイデンティティの一部のような何かを感じて、やはり私の一つの居場所に東京があると感じた。ただ地元にはない。この地に降り立つとおもしろいくらい落ち着かない笑。それは別に母のことだけでなく、単純に気の合う人がいなかった、ただそれだけだと思う。
地元に大好きな人たちがいて、その土地に愛着があるならそれは素晴らしいこと。ただ、私にはそれが微塵もない。それだけ。
今まで旅行以外で行った国のほとんどに私は何かしらの愛着を持っている。また戻りたいと思う。でもそれがたまたま日本にはない。日本人だけど、そうなっちまったんだから仕方ねえ。
あ、そういえば前の職場で出会ったニュージーランド人の方。その人は生まれはパプアニューギニア、その後は親の転勤で世界各国を転々とし、ニュージーランドの大学へ。これが初の母国長期滞在。そしてその後は日本に来て仕事して、日本人と結婚し、川崎に住んで15年。人生で一番長く住んでるのが川崎だと言っていた。
その人の一言。
I’m borderless.
うわ、私もそれ使いたい!と思ったのを覚えてる。彼は、
自分にはパスポートに書かれた国籍は存在するけど母国はない。訪れた先は全て自分にとって大事な場所だ。だからニュージーランドは特別じゃない。なんなら川崎に一番長く住んでるから僕は川崎人だ。ははは。
と。きっと故郷の概念が人と違くて、ある意味全部が故郷。そうか。地元ではなく故郷にすればもしかしたら色々しっくりくるのかもしれない。
本日は11,500歩。7.8kmの物件探し。明日はリュックに4キロくらい背負って歩くから、もはやトレーニングたな。よもやよもや(誰にもつっこまれないので使い続けます。ふふふ。)