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とどまれないし、とどまらない

自分という人間について考えたとき、「一か所にとどまらない」という性質が本当に強いと思う。

ちょっと怖いなと思うのが、思えば中学生の時点でこの性質はすでに存在していた。家の経済状況もあり、高校は公立に行くと決まっていた。当時の公立は学区制があったため、基本的には家のある地域の高校しか選択肢になかった。が、私はわざわざ学区制に捉われない公立高校を探し出し、自力で受験して、電車で1時間以上かけて通っていた。地元にとどまるのが嫌だったから。

留学していた時、4年間で7回くらい引っ越していた。卒業後、日本ではこれまで5回、海外赴任時代に5回。一体どんだけ引っ越してんだと思う。引越し貧乏とは私のことなのではと。家も同じところにとどまれないのだ。でも、奇跡的に今の家はエリアも家自体も気に入っている(半分くらいはいないけど)

だから私は、実家のあるマンションに住む同級生の男が、中高大学と実家から通い、就職は目と鼻の先にある地元の郵便局で、結婚したら奥さんはマンションに越してきて、おそらく実家の部屋の隣の部屋を買ったか借りたかし、子どもができた今もずっとあのマンションに住んでいる事実が怖くてたまらない。失礼だけど、ありえないし、信じられない。

地元を出ない人が悪いとは全然思っていない。出ないで大丈夫ってむしろすごいと思う。そこにとどまり続けられるってすごいことだと思う。が、私にはやっぱり無理だ。

私は家を建てたら終わりだと思っている。建てた家に帰らなければならない(だって勿体ないから)、建てた家に住まなければならない(だって勿体ないから)、建てた家は大切にしなければならない(だって勿体ないから)。なぜ多くの人が、自分の家を持ちたがるのかが今になっても理解できない。それは安定だからなのか、ステータスだからなのか、それとも当たり前だからなのか。

発想の違いなのか。私はネガティブな割に、なぞの思考の癖がある。名付けて、「今よりもっといい場所があるだろうよ」。名付けた割になんの捻りもなくてだっせぇな、自分よ。どんな完璧な家を建てても、そこよりも住みたい町や住みたい国ができてしまったとき、金がそんなにない私はきっと後悔する。なんかその画はものすんごい鮮明に想像できてしまう。目移りしやすい、飽きっぽい私には向いてないと分かってしまう。

仕事も転職しまくりのヤドカリコ。今も同じ組織で担当する国を変わりまくり、絶対一部の人から問題児だから国がコロコロ変わってると思われてる。ちげーよ、ばーかばーかばーか。同じ国を長くやったら楽だけど、でも可能性を狭めてると思う。そこにいたら見れない・見たことのない世界を私は見たい。たとえ大変だったとしても。それに仕事で旅費が出る中で色んな国に行けたらラッキーだもの。

だからやっぱり、私はとどまれないし、とどまらない。その意味で、私は誰かと添い遂げるみたいなのは無理なのかもしれないとも思った。どんな関係性であれば成立するのか、久々に思考を巡らせてみようと思う。

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