Human beingはいいけど、Peopleがうるさい。
久々に業務スーパーに行きたくて、バスに乗って街の中心へ。
業務スーパーに行くとビッグサイズが激安でなんとなくアメリカを思い出すから。Costcoの方がアメリカンかもだけど、近くにないのとメンバーにならなきゃいけないのがめんどくさい。ていうか、読み方コスコですよ、みなさん。アメリカ人の友人にめっちゃバカにされたし。なんならチョコレートのGODIVAはゴダイバです。アコースティックギターでなくて、アクースティツクギターです。
oh、いきなり脱線。私が住んでいるところはちょっとした観光地でもあるため、予想はしていたけど思いのほか10月になってから人が押し寄せている。道端で立ち止まって歩行妨害する観光客が迷惑極まりない。今日は思わず癖で舌打ちと、邪魔だコラと言ってしまった。心の声が常にダダ漏れである。
街を歩いていて数人のグループの若者やら同年代やら年配の方々を見ていてふと、
あーーーーもう、人が嫌。
とまた呟いた。マスクさん、いつもながらありがとう。
でも個々で人を考えた場合別に嫌いでもなんでもなく、ただその集団としての人が嫌で気持ち悪いと思った。Group of people。人の集まったものが私はあんまり好きじゃないんだなと。個々人を認識して、一人一人として扱える場面ではあまりないのだけども(例えば部内ミーティングとか)、しかし今日バスに乗って近くにいた若い女性グループの中にいるギャルA~Dまでとなったとき、その集団が受け付けない。みんな同じ見えて、なぜかわからないけど気持ち悪い。寄るな、と思う。
この究極の例が、品川駅にいるサラリーマンたちだ。品川駅でなくてもいいんだけど笑。みんな同じ色のスーツ着て、髪も黒くて、同じようなカバンもって、同じように急いでて、最近はもうみんなスマホいじってて、まじキモイ。そんなのが何十人何百人と目の前を歩いている光景に私は何度となく酔って吐きそうになった。あ、サラリーマンの皆さん、すみません、キモイとか言って。
中高が合わなかった理由はここにあるのかもしれない。同じ制服、同じ体操服、同じカバン。シンプルに気味が悪かったのかもしれない。だからルーズそっく全盛期であったとしても、紺のハイソックスを一人で履いていたりしたのかも。あ、また脱線。
不特定多数だと嫌なのかというとそうでもなくて、特定多数であっても人数が増えて集団化したときにちょっと嫌になる。完全に構成員によるのだけど(おっさんは無条件に)、私は仲の良いメンバーでも人数が増えるとウッとなる。頑張って5人くらいかな。5人でもまあまあ多い。
まとめると、ヒトはいいけど人々は苦手。人類はいいけど集団としての人々は苦手。シンプルにうるさいのが嫌なんだということ。集まると人からの圧迫感があるし、ガヤガヤごみごみするし、最終的になんかうるさいのがウザイ。
不思議なことに、東南アジアのごみごみした感じは結構好き。なぜならエネルギーに満ち溢れてるから。はい、そうです。日本のサラリーマンの目は死んでるから嫌いなんです。究極な話をすれば日本人があんまり好きじゃないんだろうなという結論にいつも辿り着く。母国はいずこへ。
そういう意味で今ソーシャルディスタンスに超恩恵を受けているなぁと毎日思う。これから満員電車とか無理だろうな。最近エレベーターでさえ誰かと乗るの嫌なのに。そういえば前に友人と話していたとき、日本人はパーソナルスペースにガンガン入ってきてキモい、と言ってたけどホントそう思う。なんか近い。私は女でもやたらに近いやつは嫌いである。おっさんは論外である。
oh、なんかまた書きたい放題書いてしまった。
違和感とか疑問とかを自分なりに分析するのが趣味なんだなと気づく。何事もモヤモヤは解消したほうがいいな。