自分の変化と落ち着く場所
仕事が多少落ち着いた。色々あっても何とかなるのが人生だなとつくづく思う。
最近自分が寛容になったなぁと思う。
ちょいちょいブチギレてる奴が何を言っとんじゃっつう話かもしれないけど、若い頃、20代〜30代半ばに比べてコントロールできないほどの怒りに囚われるようなことは減ったと思う。今もあるけどね、減ったのだ。
現地関係者と仕事でアポを取って、前日にも確認を取ったのに当日ドタキャンされたとき、昔なら「ふざけんなボケ!!」と食ってかかっていた。相手が誰であっても。今はと言えば、横でブチギレ寸前の現地人スタッフを「まあまあしょうがないよ」と宥めている。あれ、私ってこういうキャラだったっけ?と自分で自分に違和感である。
ドタキャン、ダブルブッキング、すっぽかし、勝手に予定変えられる、そんなんは海外だと日常である。約束の概念がフワッとした環境下で、私は自分ができる精一杯はやるが相手がそれに応えなかったら、それはそれかなと思うようになった。ただし、私はやることはやった、うちのスタッフもやるべきことは全てやった、悪いのは相手だと主張はする。だって事実そうなのだから。
これを人のせいにしてると言う人は随分と狭い中で生きてるんじゃないかと思う。他人をコントロールなんてできない。私も他人にコントロールされたくない、絶対嫌である。だから、最後は「しゃあないな、どうせ他人だし、変わんないし」でいいと思う。仕事であっても。
今まで何をそんなにカリカリしてたんだと思ってしまうほど、自分的に謎の落ち着きを見せている。他人から見たら「いや、すんごい言いますよね!相変わらず尖ってますよね!」と言われるが、それは昔の私を知らないから。怖いもの知らずで、無礼で、後先考えないで、これらは一生変わらないと思ってたけど、私は少し変われたんだって最近実感できた。そして自分の変化に気づけたことが嬉しかった。
今は近所の海辺のカフェで、体感35度くらいの気温の中、カフェラテとケーキを食べながら書いている。海の青も、空の青も、揺れるヤシの木も、生温い風も、バイクや車の音も、魚売りのおっちゃんも、全てがスッと馴染んで、心を落ち着かせてくれる。まさにぼーっとするとはこのことだろう。大切な人生の要素。生きてくのに必要な時間。
汗ダラダラかいても外がいい。日差しを受けて目を細めていたい。私は南国が好きなんだと改めて実感中。