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【書評】『学校って何だろう-教育の社会学入門』

学校を「当たり前」から解き放つ

私たちにとって最も身近な社会制度でありながら、その本質を問うことは意外に難しい「学校」という存在。本書は、教育社会学の第一人者である莉谷剛彦氏が、中学生を主たる読者に想定しながら、学校という制度や仕組みについて多角的に考察を展開した意欲的な著作です。

もともと1997年から98年にかけて『毎日中学生新聞』に連載された記事を単行本化し、その後文庫化された本書は、2024年の現在から見ても、学校教育の本質を考える上で示唆に富む視点を提供しています。

「なぜ勉強するの?」から考える

著者はまず、多くの中学生が抱く素朴な疑問「なぜ勉強しなければならないのか」という問いから議論を始めます。この問いに対する典型的な答えとして、受験のため、将来の仕事のため、人間的成長のためなどが挙げられますが、著者はそれらの答えを鵜呑みにせず、さらに掘り下げて考えることを提案します。

特に興味深いのは、1960年代には「勉強したくてもできない」環境にあった生徒が多かったのに対し、現代では「したくもない勉強をしなければならない」という状況に変化したという指摘です。この変化の背景には、高校進学率の上昇や社会構造の変化があることを著者は説明します。

試験と校則の隠された意味

試験については、その形式や時間制限に着目し、なぜ同じ時間内で全員が解答することを求められるのかを考察します。著者は、これが現代社会における時間管理の重要性と密接に関連していることを指摘します。

校則については、特に制服着用の意味を掘り下げて分析しています。制服には、生徒であることを示す記号としての機能だけでなく、集団としてのまとまりを作り出す効果があることを説明します。また、校則違反を「非行の芽」として捉える見方についても批判的に検討しています。

教科書と隠れたカリキュラム

教科書については、なぜ特定の知識が教科書に掲載されるのかという観点から分析を行っています。著者は、教科書の内容が学習指導要領に基づいて選択され、文部科学省の検定を受けるというプロセスを説明しながら、そこに込められた社会的な意図を明らかにします。

特に注目すべきは「隠れたカリキュラム」という概念の導入です。これは、正式なカリキュラムには明記されていないものの、学校生活を通じて暗黙のうちに学ばれる規範や価値観を指します。時間を守ること、忍耐強く課題に取り組むこと、適切なコミュニケーションの取り方などが、その例として挙げられています。

教師と生徒の関係性

本書の後半では、教師の役割と生徒の世界について詳しく論じられています。教師の多忙化や、生徒理解の難しさといった現代的な課題にも触れながら、教師と生徒の関係性の本質に迫ろうとしています。

特に興味深いのは、生徒が「生徒らしさ」を演じているという視点です。著者は、学校という場で生徒たちが期待される役割を演じていること、そしてその演じ方には様々なバリエーションがあることを指摘しています。

学歴社会を考える

最終章では、学歴社会の実態について、具体的なデータを示しながら検討しています。著者は、学歴が将来の収入や職業選択に与える影響を認めつつも、その効果を過大評価することへの警戒も促しています。

特に注目すべきは、家庭環境が学力に与える影響についての指摘です。自分では選べない環境によって教育機会に差が生じる現実を直視しながら、それでも一人一人が考え続けることの重要性を著者は強調しています。

現代的意義

2024年の視点から見ると、本書で指摘された課題の多くが、より先鋭化した形で存在していることがわかります。GIGAスクール構想によるICT教育の本格化、新しい学力観の導入、教師の働き方改革など、学校を取り巻く環境は大きく変化しています。

しかし、そうした変化の中でこそ、本書が提起する「学校とは何か」という根本的な問いかけの重要性は増していると言えるでしょう。特に、教育のデジタル化が進む中で、学校という場で行われる対面での学びの意味を問い直す必要性は高まっています。

本書の特徴は、「正解」を示すのではなく、読者自身が考えるための視点を提供することにあります。中学生向けに書かれた文章でありながら、教育に関わる大人たちにも示唆に富む内容となっています。

教育を取り巻く状況が目まぐるしく変化する現代において、本書は私たちに、学校という制度をより深く理解し、よりよい教育のあり方を考えるための重要な視座を提供してくれています。


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