![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168868493/rectangle_large_type_2_06cc5ab24400df61dfd7d84ccbdc2aab.png?width=1200)
学び方の本質を探る - 『人生を豊かにする学び方』書評
教育学・教育人間学を専門とする汐見稔幸氏による本書は、単なる学習方法や受験テクニックの解説書ではありません。「なぜ学ぶのか」という根源的な問いから説き起こし、人間にとっての学びの本質的な意味を探究していく、示唆に富んだ一冊です。著者は若い読者に向けて、自身の経験を交えながら、真の学びとは何かを丁寧に説いていきます。
温かな家庭で育まれた知的好奇心
著者は冒頭で、自身の少年期の体験を振り返ります。両親から「勉強しなさい」と言われたことは一度もなく、父は職人気質の録音技師として、母は元小学校教師として、それぞれ異なる方法で著者の知的好奇心を育んでいきました。父親は子どもと遊ぶことが大好きで、電気機関車を買ってきては自分が楽しんで走らせ、凧揚げでは見えなくなるまで高く揚げていました。母親は子どもの前で「〇〇しなさい」とは一切言わず、子どもが夢中になっているものについて「なんでそんなん面白いんや?」と問いかけ、対話を重ねていったといいます。
この原体験が、後の著者の教育観の礎となっていきます。中学・高校時代には「なぜ数学を学ぶのか」という疑問を抱き、高校では一年間笑顔を見せないほど悩み、そして大学では理系から文系へと転向していく - そうした経験を経て、著者は「学び」の本質を探究する道へと進んでいきました。
学びが意味するもの - 自由への道
本書で著者が最も強調するのは、「学ぶ」という行為の持つ解放的な性格です。知識やスキルを身につけることは、選択肢を増やし、より自由に行動できるようになることを意味します。例えば、お箸の使い方を学べば食事の選択肢が広がり、新しい道を知れば行動範囲が広がっていく。このように、学びは人間の可能性を広げ、より自由な存在へと導いていくのです。
著者は具体例として、スピードスケートの高木美帆選手の例を挙げています。彼女はオランダで修業することで、日本の根性主義的な練習方法とは異なる、科学的なトレーニング方法を学びました。その結果、より効果的な練習が可能になり、世界トップクラスの選手へと成長していったのです。
しかし同時に著者は、その「自由」が単なる個人的な利益や便益の追求に終わってはならないと説きます。真の意味での自由とは、偏見や思い込みから解放され、より深い視野と判断力を獲得することを意味するのです。
教養の真の意味 - バランス感覚の重要性
著者は「教養」を、単なる知識の蓄積としてではなく、バランスの取れた判断力として捉えています。例として環境問題を取り上げ、経済発展と環境保護、利便性と生態系の保全など、相反する価値の間でいかにバランスを取るかという問題に言及します。
ブータンの例は特に印象的です。ブータンでは、集落に電気を引くためのダム建設計画が持ち上がりましたが、そのダムによって貴重な鷲の生息地が失われることがわかりました。村人たちは議論の末、電気のない不便さを受け入れることを選択したのです。この例は、近代化と環境保護のバランスを考える上で示唆に富むものです。
また、沖縄の基地問題も取り上げ、国家の安全保障と地域住民の生活権という対立する価値の調整について考察しています。沖縄の面積は日本全体の0.6パーセントに過ぎないのに、在日アメリカ軍基地の74パーセントが集中している現状について、著者は深い問題提起を行っています。
学び方を学ぶ - 効果的な学習法の探究
本書は、具体的な学習方法についても豊富な示唆を提供しています。著者は、ただ機械的に暗記するのではなく、自分なりの工夫を加えながら学ぶことの重要性を説いています。
例えば、定期テスト対策として、自分で問題集をつくる方法を提案しています。教科書を読んで重要なポイントを見つけ、穴埋め問題を作成する。その過程で、大事なところとそうでないところを読み分ける力が育ち、また問題作りを通じて自然と内容も覚えられていくというのです。
また、学習をゲーム化する方法も紹介されています。著者の息子は漢字を覚えるのが大嫌いでしたが、夏休みの課題を20時間かけて一気にやり遂げ、それを一種のゲームとして楽しんだといいます。このように、義務的な学習を少しでも面白いものに変換していく工夫の大切さを説いています。
新時代の学びのあり方
本書後半では、21世紀における学びの新しいあり方について考察が展開されます。著者は、OECDが提唱する「キー・コンピテンシー」や、アメリカの「21世紀型スキル」などを紹介しながら、これからの時代に必要とされる能力について論じています。
特に注目すべきは、著者が提案する新しい学校のあり方です。午前中は基礎的な学習、午後は生徒が自身の興味に従って学びを組み立てる。そして地域の多様な人々が教師として関わる - そんな柔軟な教育システムの可能性を示唆しています。
著者は、従来の学校教育が極めて特殊な形態であることを指摘します。歴史的に見れば、学びとは本来、教えを請いたい人が師のもとに集まるという形で行われてきました。それが近代になって、国家が主導する形で強制的な教育が始まったのです。その意味で、現代の学校教育には限界があり、新しい形の教育が必要だと著者は説きます。
偏見や思い込みからの解放
著者は、人間が陥りやすい偏見や思い込みについても警鐘を鳴らしています。例えば、インターネット上での情報に影響されて特定の国を嫌悪するような風潮について、著者は鋭い指摘を行っています。どの国の人々も、同じように日々の生活を営み、幸せを願って生きているという当たり前の事実に目を向けること。そして、具体的な体験を通じて、偏見から解放されていくことの重要性を説いています。
生涯学び続けることの意味
本書の結びとして著者は、98歳になった自身の母の話を紹介しています。90歳を過ぎてから英語学習を始め、98歳の今でも書道を教えているという母の姿を通して、学びとは生涯にわたって続く、人生を豊かにする営みであることを示しています。戦争で最愛の母を失い、障害と闘いながらも、なお学ぶことへの意欲を持ち続ける母の姿は、学びの本質的な意味を私たちに教えてくれます。
深い示唆に富んだメッセージ
本書の最大の意義は、「学び」という行為を、受験や就職のための手段としてではなく、人間の本質的な営みとして捉え直した点にあります。知識やスキルの獲得は確かに重要ですが、それは「なぜ学ぶのか」という根源的な問いと切り離して考えることはできません。
また本書は、現代の教育が直面している課題にも鋭い洞察を投げかけています。AIの発達により機械的な知識習得の価値が低下する中、人間にしかできない創造的な思考や対話的な学びの重要性を説く著者の指摘は、極めて示唆に富むものと言えるでしょう。
著者は「端緒知」「実践知」「人格知」という三段階で学びを捉えることを提案しています。単に知識を得る「端緒知」から、その知識を深め実践する「実践知」、そしてそれが人格形成にまで影響を与える「人格知」へと発展していく - この視点は、学びの本質を理解する上で重要な示唆を与えてくれます。
さらに著者は、学びの共同性についても強調しています。人類は知識を共有し、協力することで生き延びてきました。その意味で、学びは本来、個人的なものではなく、共同的な営みとして捉えられるべきだと著者は説きます。
人間は皆、悩みながら成長していく
著者は自身の経験として、高校時代に「人間はどうしたら平等になれるのか」「平等ってそもそも何か」という問いに苦しんだことを率直に語っています。そして、そうした悩みこそが、その後の自身の学びのテーマとなっていったと振り返ります。
人は誰しも、その時代なりの悩みを背負って生きていくものだと著者は言います。そして、その悩みを大切にしながら、自分の一生の学びのテーマとして探究していくことの大切さを説いています。
本書が伝えたいメッセージ
本書全体を通して、著者の教育者としての豊かな経験と深い洞察が随所に表れています。特に印象的なのは、著者が若い読者に対して、常に対話的な姿勢で語りかけている点です。「なぜ学ぶのか」という問いに対して、著者は決して一方的な答えを押しつけることはせず、読者と共に考えていく姿勢を貫いています。
また、本書は単なる教育論に留まらず、現代社会が直面している様々な課題 - 環境問題や格差の問題、戦争や差別の問題など - にも目を向けており、学びを通じてそれらの問題にどう向き合っていくかという視点も提供しています。
全体として本書は、教育関係者はもちろん、学ぶことの意味を考えたい全ての人に推奨できる一冊となっています。特に、受験や成績に追われる中で学ぶことの意味を見失いがちな若い読者にとって、新たな視座を提供してくれる本となるはずです。著者の温かいまなざしと深い洞察に導かれながら、読者は「学び」の本質的な意味について、自分なりの答えを見つけていくことができるでしょう。