![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/164884619/rectangle_large_type_2_7a0cc56875cf39433e0f89d287562012.png?width=1200)
【書評】『教えから学びへ - 教育にとって一番大切なこと』
「なぜ人は学ぶのか」「何のために学ぶのか」という根源的な問いから、教育の意味を問い直す本書は、教育学者・汐見稔幸氏による渾身の教育論です。著者は長年、教育の現場に携わり、東京大学教育学部附属中等教育学校校長なども務めた教育の専門家です。
本書の主張は明快です。これまでの教育は「教える」ことに重点を置きすぎていた。これからは「学び」を中心に据えた教育へと転換していく必要がある、というものです。
二つの自己実現から考える学びの意味
著者は学ぶ目的を、「自分の自己実現」と「社会の自己実現」という二つの側面から説明します。「自分の自己実現」とは、自分が心の深いところで本当に「やりたい」と思うことを実現すること。一方の「社会の自己実現」とは、社会がその構成員をできるだけ多く幸せにできるような社会になっていくことを指します。
人間は自分だけが幸せになるのではなく、みんなで上手に支え合って、みんなが生き生きとして幸せになっていけるような社会を目指す努力をしない限り、結局、自分も幸せになれない、と著者は指摘します。それは人間の本能的な特徴であり、長い歴史の中で培われてきた性質だと説明されています。
「語義」と「意味」の区別から考える深い学び
本書の特徴的な指摘の一つに、「語義」と「意味」の区別があります。「語義」とは社会で定められた言葉の意味、「意味」は個人が自分の経験を通して見出す価値のことです。たとえば「母親」という言葉の語義は「子どもを産んだり育てたりする女性」ですが、一人一人にとっての「意味」は千差万別です。
著者は、現在の学校教育が語義の習得に偏りすぎていると指摘します。本当の学びとは、語義を覚えるだけでなく、自分なりの意味を見出していくプロセスを含むものだと主張します。この指摘は、現代の教育が陥りがちな「正解主義」への鋭い批判となっています。
教育の歴史的変遷と現代の課題
著者は、日本の教育の歴史的変遷についても詳しく解説しています。明治時代以降、日本の教育は「国家のため」という建前と「立身出世のため」という本音の二重構造を持っていたと指摘します。そして、高度経済成長期を経て、教育が次第に受験のための訓練へと矮小化されていった過程を丹念に描き出しています。
特に1970年代以降、産業構造の変化とともに、「これさえ学んでおけば生きていける」という確信が持てなくなっていったことが、現代の教育の混迷の原因の一つだと分析しています。
早期教育の落とし穴
本書では早期教育についても鋭い指摘がなされています。著者は、イギリスの思想家J.S.ミルの例を挙げながら、幼い頃から詰め込み式の教育を受けることの問題点を指摘します。ミルは3歳からギリシャ語を学び、8歳でラテン語も始めるという厳格な教育を受けましたが、21歳の頃に深刻なうつ状態に陥りました。
著者は、早期教育によって語義だけを詰め込んでも、自分なりの意味を見出す機会が失われては意味がないと説きます。人間の促成栽培はできない、というのが著者の主張です。むしろ、子どもの自然な興味関心や体験を大切にする教育の重要性を強調しています。
ICT時代の教育のあり方
著者は、ICT(情報通信技術)の発達が教育にもたらす影響についても詳しく論じています。GIGAスクール構想などの新しい取り組みについて、その可能性を認めつつも、単なる方法論として導入するのではなく、なぜそれを導入するのかという本質的な議論が必要だと指摘します。
特に重要なのは、ICTを活用しながらも、子どもたちが主体的に学べる環境をいかにつくるかという視点です。著者は、テクノロジーの使い方を教えるのではなく、テクノロジーを通じて何を学ぶのかという本質的な問いに立ち返ることの重要性を説いています。
アクティブラーニングの本質
近年注目を集めているアクティブラーニングについても、著者は独自の視点から解説しています。単に活動的な授業を行えばよいのではなく、子どもたちが本当の意味で主体的に学べる環境をつくることが重要だと指摘します。
そのためには、「信じて疑う」という態度が重要だと著者は説きます。与えられた情報をそのまま受け入れるのではなく、いったん信じた上で改めて疑ってみる。そうした思考のプロセスを大切にすることで、より深い学びが実現できると主張しています。
新しい学校教育の可能性
では、これからの教育はどうあるべきか。著者は、午前中は基礎的な学習を行い、午後は子どもたち自身が学びたいことを追求できる時間にする「午前中で終わる学校」を提案します。
また、学校を地域に開き、教師以外のさまざまな職業や経験を持つ大人たちと子どもたちが出会える場にすることも提案しています。子ども食堂のような取り組みを学校で行うことで、異年齢・異世代の交流が生まれ、子どもたちの学びの機会が広がることも示唆しています。
教育の共同体的側面
著者は、教育には個別化と共同化の両方が必要だと説きます。一人ひとりの興味関心に応じた学びを保障しながら、同時に他者との対話や協働を通じた学びも大切にする。そのバランスをとることが、これからの教育には求められると指摘します。
特に注目すべきは、異年齢での学び合いの重要性です。同じ年齢の子どもたちだけで学ぶのではなく、異なる年齢の子どもたちが交わることで、教え合い、学び合う関係が自然に生まれると著者は指摘します。
結論:新しい教育の創造に向けて
本書は、現代の教育が抱える問題を鋭く指摘しながらも、決して悲観的ではありません。むしろ、教育の可能性を積極的に展望する書となっています。著者は、子どもたちの可能性を信じ、その可能性を引き出すための具体的な提案を数多く示しています。
特に印象的なのは、「子どもたちが没頭する、熱中する時間をつくること」という教育の定義です。この視点は、現代の効率主義的な教育への明確なアンチテーゼとなっています。
本書は、教育関係者はもちろん、親や地域の人々など、子どもの教育に関わるすべての人にとって示唆に富む一冊です。社会全体で子どもたちの学びを支えていくための具体的な方向性を示した、意義深い著作と言えます。
私たちはいま、大きな変化の時期にいます。本書は、その中で教育をどのように再構築していくべきかについて、深い洞察と具体的な提案を示してくれています。教育に関わるすべての人々に、ぜひ手に取っていただきたい一冊です。