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【書評】『やる気はどこから来るのか-意欲の心理学理論』
「わかっているのにやれない」という経験は誰にでもあるのではないでしょうか。勉強や仕事、様々な場面で直面するこの現象について、本書『やる気はどこから来るのか-意欲の心理学理論』(奈須正裕 著)は心理学の理論を用いて丁寧に解説しています。
なぜ人は無気力になるのか
著者はまず、人は本来意欲的な存在だと指摘します。その証拠に、歩き始めの赤ちゃんは転んでも何度も立ち上がり、新しいことに興味を示し続けます。しかし、多くの人が成長とともに意欲を失っていきます。
その主な原因として著者が指摘するのが、学校教育システムです。一斉指導による時間的制約や、相対評価による努力の無効化など、教室には意欲を削ぐ要素が数多く存在します。これらの環境で、生徒たちは「努力しても報われない」という経験を重ねていきます。
心理学では、この現象を「学習性無力感」と呼びます。実験では、どんな行動をとっても電気ショックを止められない状況に置かれた犬が、その後、逃げ出せる状況でも無気力になることが示されました。人間でも同様の実験結果が得られており、努力と結果が結びつかない環境に置かれ続けると、意欲を失っていくのです。
認知が変われば意欲も変わる
しかし著者は、客観的な環境だけでなく、その環境をどう解釈するかという「認知」が重要だと説きます。例えば、サイコロ振りの実験では、自分で振るほうが良い目が出やすいと感じる「統制の幻想」が確認されています。
興味深いことに、うつ病の患者はこの幻想を持たず、より客観的な判断をする傾向にありました。つまり、ある程度の「幻想」を持つことが、むしろ精神的健康には必要なのかもしれません。
原因帰属が鍵を握る
本書の中核をなすのが「原因帰属」の理論です。人は成功や失敗の原因を何かに帰属させようとします。その際、原因を「内的か外的か」「安定的か不安定か」「統制可能か不可能か」という3つの次元で分類できます。
例えば、試験の失敗を「能力不足(内的・安定的・統制不可能)」に帰属すれば次回への期待は下がりますが、「努力不足(内的・不安定・統制可能)」に帰属すれば、次は頑張ればよいと考えられます。
感情をコントロールする
著者は、感情も認知によって左右されることを示します。シャクターとシンガーの実験では、同じ生理的興奮状態でも、周囲の状況によって異なる感情として解釈されることが明らかになりました。
また、失敗を能力に帰属すると無力感やあきらめにつながり、努力に帰属すると後悔を通じて次への意欲につながることも、実際の中学生を対象とした調査で確認されています。
実践的な示唆
本書は理論的な説明に終始せず、実践的な提案も行っています。例えば、大きな目標を小さな目標に分割する「近接目標」の設定が効果的だと説きます。「1日10個の単語を覚える」といった無理のない目標から始めることで、継続的な努力が可能になるのです。
また、失敗を必要以上に能力に帰属せず、適度に努力に帰属することで、建設的な感情と行動を引き出せることも示唆しています。
評価と好感度の心理
本書の後半では、他者からの評価に関する興味深い知見が示されます。教師は努力を高く評価する一方で、生徒は時として努力を隠そうとします。これは、失敗時に努力していると能力が低いと判断されることを恐れるためです。
こうした知見は、人間関係における様々な現象の説明にも応用できます。例えば、遅刻の言い訳として「寝坊」より「電車の遅れ」を選ぶのは、統制可能な原因より統制不可能な原因のほうが、相手の怒りを和らげるためです。
本書の意義と特徴
本書の特筆すべき点は、複雑な心理学理論を、日常的な例を用いて分かりやすく説明している点です。実験の詳細な説明と共に、学校生活や人間関係における具体例を豊富に示すことで、読者の理解を助けています。
また、理論の発展過程も丁寧に説明されています。当初の理論が批判を受けて修正されていく過程を示すことで、心理学という学問の本質的な性格も伝えています。
さらに、各章の終わりに実践的な示唆を含めることで、読者が自身の生活に理論を応用できるよう配慮されています。ただし著者は、認知の変化には時間がかかることも強調し、焦らず着実に取り組むことの重要性を説いています。
結論として、本書は意欲に関する心理学の理論を分かりやすく解説しながら、実践的な示唆も提供する優れた入門書といえます。学生や教育者はもちろん、職場での人材育成に携わる方々にも示唆に富む一冊です。心理学の専門知識がない読者でも、自身の経験と照らし合わせながら理解を深められる構成になっています。