![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/164961474/rectangle_large_type_2_5d20100a65d5ae7fca5abbf7e548d487.png?width=1200)
【書評】『学力の基本は好奇心です』
子どもの学力低下が語られて久しいなか、教育学者の汐見稔幸氏が示す子育ての指針は、驚くほどシンプルです。学力の土台となるのは好奇心であり、それは豊かな体験と感情を通じて育まれる—これが本書の核心といえるでしょう。
なぜ今、学力が問われているのか
著者はまず、日本の子どもたちの学力低下の実態を丁寧に解説します。OECD(経済協力開発機構)による国際学力調査(PISA)の結果を見ると、日本の順位は年々下降傾向にあります。特に読解力は2000年の8位から2006年には15位まで順位を下げました。
しかし著者は、この事実を単純に嘆くのではなく、その背景にある社会構造の変化に目を向けます。かつての右肩上がりの成長期には、努力すれば報われるという実感があり、それが学習意欲を支えていました。しかし現在は、なぜ勉強するのかという動機づけそのものが見えにくくなっているのです。
学力の本質を問い直す
では、本当の学力とは何でしょうか。著者は、単なる知識の暗記や計算力ではないと指摘します。むしろ重要なのは、物事を多角的に考える力、表現する力、そして何より「なぜだろう」という知的好奇心だと説きます。
著者は学力の構造を、四層のブロックに例えて説明します。最下層の「実体験の豊かさ」、その上の「感情体験の豊かさ」、さらに「知育的体験」、最上層の「文字や数」という構造です。この土台となる体験や感情が十分でないまま、最上層だけを急いで積み上げても、それは不安定な「頭でっかち」な状態になってしまうと警告します。
早期教育への慎重な視点
著者は早期教育に対して、きわめて慎重な立場をとっています。たとえば3歳児が文字を読めるようになったとしても、それは単なるパターン認識の域を出ず、本当の意味での理解には至らないと指摘します。
重要なのは、体験を通じて感情を豊かに育て、そこから自然に知的好奇心を芽生えさせることです。著者は、イギリスの思想家J.S.ミルの例を引きながら、幼少期から論理的思考ばかりを教え込むことの危険性を説いています。
家庭でできる具体的な取り組み
では具体的に、家庭では何ができるのでしょうか。著者は以下のような提案をしています。
自然体験を豊かにすること。虫取りや星空観察など、驚きや発見に満ちた体験が、子どもの好奇心を育みます。
読み聞かせを続けること。子どもが自分で読めるようになっても、親子で本を共有する時間を大切にすることで、読書好きな子に育ちます。
家族での会話を楽しむこと。「こうしなさい」という指示型ではなく、子どもの考えを引き出す対話を心がけることで、思考力や表現力が育ちます。
手伝いを通じて考える力を育むこと。家事には科学的な思考のヒントが詰まっています。
中学受験をめぐる考え方
著者は中学受験についても、現実的な提言をしています。受験そのものを否定はしませんが、それを「頭を鍛えるチャンス」程度に考え、過度のプレッシャーを与えないよう注意を促します。
特に重要なのは、受験を始める時期です。著者は「3年生のころはしっかり遊んでいればいい」と述べ、できるだけ短期決戦で臨むことを推奨しています。
学力を支える感性の重要性
本書の白眉は、学力の根底に感性があることを説得的に論じている点です。著者は東京大学の数学教授の言葉を引きながら、「なぜだろう」「不思議だな」という感性こそが、高度な学問的思考の出発点になると説明します。
つまり、幼い頃から受験勉強のような紋切り型の思考に縛られることは、かえって本質的な学力の芽を摘んでしまう危険があるのです。
まとめ
本書の主張は、現代の教育現場や家庭に対する、きわめて示唆に富むメッセージとなっています。学力低下が叫ばれるなか、多くの親たちは子どもの教育に不安を抱えています。しかし著者は、そうした不安に流されることなく、子どもの感性と好奇心を大切に育てることこそが、本当の学力につながると説いているのです。
特に印象的なのは、著者が終始一貫して「子どものための教育」という視点を失わないことです。受験や成績といった外形的な成果を追い求めるのではなく、子どもの内側から湧き上がる知的好奇心を大切にする—そんな教育の原点を、本書は私たちに静かに、しかし力強く語りかけています。
読者は本書を通じて、子どもの教育に対する新たな視座を得ることができるでしょう。それは、競争や効率を重視する現代の教育観への、穏やかではありますが、確かな異議申し立てともなっています。