見出し画像

【書評】『「考えるカ」を伸ばす-AI時代に活きる幼児教育』

幼児教育のパラダイムシフト

46年間にわたって幼児教育の現場で実践を重ねてきた著者、久野 泰可氏が、AI時代を見据えた新しい幼児教育の在り方について論じた意欲的な一冊です。著者は、日本の幼児教育が「遊び保育」と「教え込み教育」の二極化に陥っている現状を指摘し、その両者とは異なる「第三の道」として、思考力を育む基礎教育の重要性を説いています。

特に注目すべきは、著者が提唱する「KUNOメソッド」です。これは世界の幼児教育の先達であるモンテッソーリ、ピアジェ、ブルーナー、ヴィゴツキー、遠山啓らの理論を基礎としながら、現場での実践を通じて構築された独自の教育メソッドです。

変化する小学校入試と幼児教育

本書では、近年の小学校入試の変化にも着目しています。かつての学力偏重型から、「非認知能力」を重視する方向へと大きく転換しているのです。著者は、この変化を「時代に即した正しい方向性」として評価しています。

特筆すべきは、著者が「学力vs非認知能力」という二項対立的な考え方を否定している点です。両者は相反するものではなく、むしろ相補的な関係にあると指摘します。認知能力を育てる過程で非認知能力も同時に育成されていくという視点は、示唆に富んでいます。

事物教育と対話教育の重要性

著者が提唱する教育方法の核心は「事物教育」と「対話教育」にあります。子どもたちが実物に触れ、操作し、その過程で得た気づきを言語化していくことで、真の理解と思考力が育まれていくという考え方です。

具体例として示される「三段階学習法」は説得力があります。まず身体を使って体験し、次に手を使って確認し、最後にペーパーワークで定着させるという流れは、幼児の発達段階に即した無理のない方法といえます。

世界の潮流から見た日本の幼児教育

著者は海外、特にアジアの幼児教育の現場も広く見てきた経験から、日本の幼児教育の課題を指摘しています。特に「遊び保育」に偏重している現状は、世界の潮流から見ると時代遅れだと警鐘を鳴らしています。

ただし、著者は「遊び保育」そのものを否定しているわけではありません。遊びを通じた体験を、いかに思考力育成につなげていくかが重要だと指摘します。この視点は、「遊び vs 学び」という不毛な二項対立を超えるための重要な示唆となっています。

ヘックマン理論と幼児教育の重要性

本書では、ノーベル経済学賞受賞者のジェームズ・J・ヘックマン教授の研究にも言及しています。「5歳までの教育が人の一生を左右する」というヘックマンの指摘は、幼児教育の重要性を裏付ける科学的根拠として紹介されています。

特に注目すべきは、幼児教育への投資が社会的リターンを生むという経済学的な観点です。この視点は、幼児教育の無償化といった政策的な議論にも示唆を与えるものといえます。

考える力を育てる10の要素

著者は「考える力」を育てるための具体的な要素として、以下のような観点を示しています。ものごとの特徴をつかむ、比較する、順序づける、全体と部分の関係を把握する、観点を変えてとらえる、相対化する、逆に考える、まとまりでとらえる、法則性を発見する、関係性を推理する。これらの要素は、具体的な実践例とともに示されており、理解しやすい内容となっています。

AI時代に求められる人材育成

著者は、AI時代の到来を見据えた幼児教育の在り方について、具体的な提言を行っています。単なる知識の暗記や技能の習得ではなく、自ら考え、問題を解決する力の育成が重要だと説きます。

特に印象的なのは、「教えない教育」の重要性を説く部分です。教師が一方的に教え込むのではなく、子どもたち自身が試行錯誤しながら答えを見つけていく過程を重視する考え方は、これからの教育の方向性を示唆するものといえます。

本書の意義と課題

本書の最大の意義は、長年の実践に基づく具体的な教育方法を提示している点にあります。特に「事物教育」と「対話教育」を柱とする「KUNOメソッド」は、理論と実践の両面から検証された説得力のある方法論といえます。

ただし、この教育方法を実践するためには、教える側の十分な理解と技量が必要です。その意味で、教師教育の在り方についても、さらなる議論が必要かもしれません。

結論として、本書は単なる教育論に留まらず、これからの社会を見据えた幼児教育の指針を示す重要な著作といえるでしょう。「考える力」を育む幼児教育の実現は、次の世代を担う子どもたちにとって、かけがえのない贈り物となるはずです。


いいなと思ったら応援しよう!