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【書評】『新しい学力』

「学力とは何か」を問い直す

文部科学省が推進する「新しい学力」への転換は、日本の教育の大きな転機となっています。2020年からの新学習指導要領では、アクティブ・ラーニングを中心とした、主体的・対話的で深い学びが重視されることになりました。本書は、教育学者の齋藤孝氏が、このような教育改革の流れを丁寧に分析し、その意義と課題を明らかにしながら、真に求められる学力の在り方を提示した意欲作です。

「新しい学力」とは何か

著者はまず、「新しい学力」の本質を解き明かしていきます。それは、従来の暗記中心の「伝統的な学力」とは異なり、課題を解決するために必要な思考力・表現力・判断力を中心とした学力を指します。1989年に文部省(現文部科学省)が示した「新しい学力観」以降、自ら学ぶ意欲や思考力、判断力の育成が重視されるようになりました。

特に注目されているのが、OECDによるPISA(生徒の学習到達度調査)で測られる「問題解決能力」です。これは、与えられた情報から問題を理解し、解決策を考え出す力を測るものです。著者は具体例として、「おそうじロボット」の動きを分析する問題などを紹介しながら、このような実践的な思考力の重要性を説明しています。

アクティブ・ラーニングという手法

新しい学力を育成する手法として注目されているのが、アクティブ・ラーニングです。これは生徒が主体的に参加する学習方法で、グループ討論やプレゼンテーションなどを通じて、深い理解と実践的な能力の育成を目指すものです。

しかし著者は、アクティブ・ラーニングの導入には慎重な姿勢も必要だと指摘します。単に活動的な授業を行えば良いわけではなく、教師の高い指導力と十分な準備が不可欠です。また、基礎的な知識の習得がおろそかになってはいけないとも警告しています。

「落とし穴」への警鐘

著者は「新しい学力」推進の動きに潜む様々な「落とし穴」についても指摘します。例えば、評価の難しさです。意欲や思考力をどのように客観的に評価するのか、その基準作りは容易ではありません。また、ICT活用についても、機器の導入だけでは学習の質は向上しないと指摘します。

特に重要な指摘は、「日本の教育はダメだった」という思い込みへの批判です。実際のPISA調査では、日本は多くの分野で上位にランクされており、むしろ問題解決能力は高い水準にあります。著者は、これまでの日本の教育実践の蓄積を軽視すべきでないと訴えます。

教育の源流を探る

著者は「新しい学力」の思想的源流として、ルソー、デューイ、吉田松陰、福沢諭吉らの教育思想を丁寧に解説します。例えばルソーは、子どもの好奇心を重視し、自発的な学びの重要性を説きました。デューイは経験を通じた学習を提唱し、学校を生活の場として捉え直すことを主張しました。

日本の教育史においても、松下村塾での吉田松陰の教育実践や、福沢諭吉の実学重視の姿勢など、主体的な学びの伝統が存在していたことを著者は指摘します。これらの歴史的な実践から学ぶべき点は多いと著者は説きます。

真の問題解決能力とは

では、これからの時代に求められる真の学力とは何か。著者は、伝統的な学力と新しい学力の「統合」が重要だと主張します。基礎的な知識の習得と、問題解決型の思考力の育成は、どちらも欠かせません。

特に著者が重視するのが、「知情意体」の総合的な育成です。知性(知)、感情(情)、意志(意)、そして身体性(体)のバランスの取れた発達が、真の問題解決能力につながると説きます。また、東洋の伝統的な「知仁勇」の考え方も、現代に通じる示唆に富んでいると指摘します。

本書の意義

本書の最大の意義は、「新しい学力」をめぐる議論を、歴史的な視点と実践的な観点から総合的に検討し、これからの教育の在り方について具体的な提言を行っている点にあります。特に、伝統的な教育方法の意義を認めつつ、新しい教育方法との統合を目指す姿勢は、バランスの取れた示唆に富むものといえます。

また、教師や親に向けた具体的な実践方法の提示も本書の特徴です。例えば、読書を通じたアクティブ・ラーニングの方法や、新聞を活用した学習方法など、実践的なアイデアが豊富に盛り込まれています。

本書は、教育関係者はもちろん、子育て中の親や教育に関心を持つ一般読者にとっても、示唆に富む一冊となっています。教育改革の本質を理解し、真の学力向上を目指すための貴重な指針として、広く読まれることが期待される著作です。


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