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【書評】『サルの子育て ヒトの子育て』

サルとヒトの子育てから見える「ヒトらしさ」の本質

本書は、約40年にわたって霊長類の行動を観察してきた筆者、中道 正之氏が、サルとヒトの共通点や相違点を丁寧に描き出しながら、ヒトという生き物の本質に迫る試みです。特に子育ての視点から、ヒトとサルの関係性を深く掘り下げています。

握る手、つまむ指から始まる物語

著者は冒頭で「ヒトはどんな生き物ですか?」という問いを投げかけます。一般的な答えとして「言葉を話す」「道具を使う」「直立二足歩行をする」といった特徴が挙げられますが、著者はそれらとは異なる視点を提示します。

霊長類に共通する重要な特徴として、「握る手」「つまむ指」に着目します。親指が他の4本の指と向かい合う「拇指対向性」により、物を握ったりつまんだりする器用な動作が可能になりました。この能力は、樹上生活への適応の結果として獲得されたものです。

さらに重要なのは、この「握る手」によって可能になった「抱っこ」という行為です。新生児は生まれた瞬間から把握反射により母親にしがみつくことができ、母親も赤ちゃんを抱きしめることができます。この密着した関係が、母子の強い絆を育む基盤となっています。

目と目が合う関係の深さ

霊長類のもう一つの重要な特徴は、顔の前面に並んだ二つの目です。これにより立体視が可能となり、枝から枝への移動に必要な距離感を得られるようになりました。同時に、目と目を合わせてのコミュニケーションも可能になりました。

著者は特に興味深い現象として「新生児模倣」を取り上げています。生後間もない赤ちゃんが、目の前の大人の表情や口の動きを真似る行動です。この能力は、人間の赤ちゃんだけでなく、チンパンジーやサルの赤ちゃんでも確認されています。

ひとりで出産しないヒトの特徴

サルの出産は基本的に「静かな出産」で、母親は一人で行います。一方、ヒトの出産は「にぎやかな出産」で、産声を上げ、周囲のサポートを必要とします。これは直立二足歩行による骨盤の変化で出産が困難になった結果ですが、同時に周囲との絆を深める機会にもなっています。

「おんぶ」の文化的意味

日本では長く続いた「おんぶ」の文化についても詳しく論じられています。サルの世界では、子どもが自力で母親にしがみつきますが、ヒトの場合は道具(おんぶ紐)を使用します。この違いは、文化的な実践としての子育ての特徴を示しています。

父親の役割の進化

サルの世界では、種によって父親の子育て参加の度合いが異なります。ペア型の小型サルでは父親も積極的に子育てに参加しますが、大型類人猿では限定的です。ヒトの場合、核家族化が進む中で父親の育児参加の重要性が増しています。

「ほめる」という特別な能力

本書の結論部分で著者は、ヒトだけが持つ特別な能力として「ほめる」ことを挙げています。サルの世界では見られない「ほめる」という行為が、ヒトの子育てや社会関係の中で重要な役割を果たしています。

まとめ:ヒトらしさの本質

本書の特徴は、長年の観察に基づく具体的なエピソードを織り交ぜながら、ヒトとサルの共通点と相違点を丁寧に描き出していることです。特に印象的なのは、著者が「類似性」に注目しながらも、最終的にヒトならではの特徴を浮き彫りにしている点です。

握る手、向かい合う目、社会的な出産、道具を使用したおんぶ、父親の育児参加、そして「ほめる」という能力。これらの要素が組み合わさることで、ヒトならではの子育ての特徴が形作られています。

本書は、霊長類学の専門的な知見をわかりやすく解説しながら、私たちヒトの本質について考えるきっかけを与えてくれます。特に印象的なのは、著者が40年にわたる観察から得た洞察を、理論的な説明だけでなく、具体的なエピソードを通じて伝えようとしている点です。

学術書でありながら、読者の関心を引きつける語り口で、専門知識がない読者でも十分に楽しめる内容となっています。特に、日常生活で当たり前のように行っている行為(抱っこ、おんぶ、ほめるなど)の持つ意味を、進化の視点から解き明かしていく展開は、新鮮な発見に満ちています。

本書は、子育ての本質を考えたい人はもちろん、ヒトという生き物について深く知りたい人にとって、示唆に富む一冊となるでしょう。


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