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【書評】『学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか』

教育学者・広田照幸氏による本書は、学校教育の本質的な価値と限界を、現代的な視点から平易に解き明かした良書です。特に、AI時代を生きる若者たちへの示唆に富んだメッセージが印象的です。

なぜ学校は退屈なのか

著者は冒頭で、学校での学びが退屈に感じられるのは当然だと指摘します。それは学校が「世界の縮図」を教えるという本質的な性質を持つためです。日常生活では出会わない知識や、直接経験できない事柄を、言葉や記号を通じて学ぶ場が学校なのです。化学の実験で使う硫酸バリウムのような物質は、普段の生活では見かけることはありません。しかし、化学の法則を理解するために必要な学習材料として登場します。

このように学校での学びは、子どもたちの日常経験とは切り離されたものになりがちです。だからこそ「つまらない」と感じられるのは自然なことだと著者は説明します。

学校はなぜ大切なのか

では、なぜそのような「退屈な」学校が必要なのでしょうか。著者は学校教育の意義を、次のように整理します。

第一に、学校は「より広い世界への通路」として機能します。親や友人との狭い世界から抜け出して、多様な可能性に出会う場所なのです。学校で学ぶ知識は、将来の職業選択の幅を広げるだけでなく、市民として社会に参加するための基礎知識や、文化を享受するための土台となります。

第二に、学校は民主主義社会を支える市民を育成する場でもあります。教育基本法が掲げる「平和で民主的な国家及び社会の形成者」の育成は、学校教育の重要な目的の一つです。社会の仕組みや世界の歴史を学ぶことは、社会の一員として賢明な判断を行うための基礎となります。

社会化と選抜の場としての学校

学校は二つの主要な機能を果たしています。一つは「社会化」、もう一つは「選抜・配分」です。

社会化機能とは、知識や価値観を子どもたちに伝える働きです。ただし、学校が意図的に教えようとする内容が、そのまま子どもたちに吸収されるわけではありません。子どもたちは、教師の目の届かない場所で、友人関係を通じて独自の学びを得ていきます。時にはいじめのような問題も発生します。

選抜・配分機能は、子どもたちの進路を振り分ける働きです。この機能は、一面では競争や排除を生み出します。しかし他方で、生まれ育った家庭環境から抜け出して、新しい可能性を手に入れる機会にもなります。

平等と卓越のジレンマ

学校教育は、「平等」と「卓越」という二つの価値の間で揺れ動いてきました。日本国憲法第26条は「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」を定めていますが、「能力に応じて」と「ひとしく」をどう両立させるかは簡単ではありません。

また、教育には「卓越を追求する」という本質があります。望ましい知識や価値を身につけさせようとする営みだからです。しかし、それは時として競争や序列化を生み出してしまいます。

著者は、経済の観点からみると平等と卓越は対立しますが、政治や文化の観点からみると必ずしも矛盾しないと指摘します。民主主義社会や豊かな文化の実現には、すべての人が質の高い教育を受けることが望ましいからです。

AI時代の学校教育

本書の白眉は、AI技術の発展が学校教育にもたらす影響についての考察です。著者は、AI技術の進展により、社会は大きく二つの方向に分かれる可能性があると指摘します。

一つは、経済が二極化し、少数の勝者と多数の敗者が生まれる社会です。この場合、学校は激しい競争の場となり、多くの若者が敗者となってしまいます。

もう一つは、AIが生み出す富が適切に再配分され、すべての人が豊かさを享受できる社会です。しかしこの場合、「なぜ学ぶ必要があるのか」という動機づけの問題が生じる可能性があります。

著者は、このような時代だからこそ、社会の仕組みを賢明に選択できる市民を育てることが重要だと主張します。AI技術をどのように活用し、制御していくのか。そのような判断ができる人間を育てることが、これからの学校教育には求められているのです。

家庭環境の影響と教育機会の不平等

本書は、家庭環境が教育機会に与える影響についても詳しく論じています。経済的・文化的に豊かな家庭の子どもは、高い学力を身につけやすい傾向があります。また、家庭の経済状況は、進学の可否に直接的な影響を与えます。

著者は、最近注目を集めている「個別最適化した学び」という考え方に警鐘を鳴らします。一人一人の状況に合わせた教育は魅力的に見えますが、かえって格差を拡大させてしまう危険性があると指摘します。

より広い世界へ

著者は最後に、若い世代へのメッセージを込めています。家族や友人との狭い世界に閉じこもるのではなく、より広い世界に目を向けることの大切さを説きます。世界には依然として多くの課題が存在しますが、人類は着実に進歩を遂げてきました。核戦争の脅威や気候変動といった深刻な問題も、人々が力を合わせれば解決は可能だと著者は主張します。

本書は、学校教育の本質を理解する上で示唆に富む一冊です。特に、AI時代における学校教育の役割について、重要な問題提起を行っています。教育関係者はもちろん、中高生や大学生、保護者にもお薦めできる良書といえるでしょう。


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