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【書評】『赤ちゃんはことばをどう学ぶのか』
「子どもは言語の天才」という常識への疑問
「子どもは言語学習の天才だ」「子どもの頃から外国語に触れていれば、今頃ペラペラだったのに」。このような言葉を、私たちは何度となく耳にしてきました。しかし、この「常識」は本当に正しいのでしょうか。本書は、言語発達の研究者である針生悦子氏が、この問いに真正面から向き合い、最新の研究成果をもとに検証していきます。
母語習得の驚くべき道のり
赤ちゃんが最初の一語を話すまでには約1年かかります。しかし、その1年の間、赤ちゃんは何もしていないわけではありません。まず、周囲の人々が発する音声が「言語」であることを理解する必要があります。同時に、どの音の違いが意味の違いをもたらすのか(例:「おむつ」と「おっむ」は違う単語)、どの音の違いは無視してよいのか(例:父親の声と母親の声で「おむつ」と言うときの音の違い)を、自力で見分けなければなりません。
さらに、切れ目なく続く音声の流れの中から単語を見つけ出し、その意味を理解する必要があります。このプロセスは、私たち大人が知らない外国語を聞くときの困難さを考えれば、想像できるかもしれません。
指さしの意味を学ぶ難しさ
私たち大人は、「指さし」を当たり前のコミュニケーション手段として使っています。しかし、7-8ヶ月の赤ちゃんは、大人が何かを指さしても、指された方向ではなく指そのものを見つめます。指さしが「あそこにあるものに注目して」という意味を持つことを理解するまでには、かなりの時間がかかるのです。
バイリンガル環境で育つ子どもの現実
本書で特に興味深いのは、バイリンガル環境で育つ子どもに関する知見です。例えば、カタルーニャ語とスペイン語のバイリンガル環境で育つ赤ちゃんの場合、カタルーニャ語特有の音の区別が、生後4ヶ月では可能なのに、8ヶ月では一時的にできなくなり、12ヶ月で再びできるようになるという「U字型」の発達を示します。これは、二つの言語の学習が単純な足し算ではないことを示しています。
早期英語教育への警鐘
著者は、近年の早期英語教育の流れに対して慎重な姿勢を示しています。その理由の一つは、幼い子どもほど新しい言語の習得に時間がかかるという研究結果です。例えば、外国から移住してきた子どもの場合、年少の子どもほど現地語の習得に時間がかかり、逆に10歳以上の子どもの方が早く習得できることが分かっています。
また、幼い時期に新しい言語環境に入れられた場合、元の母語を失いやすいという問題もあります。言語は「一つ覚えれば自動的にもう一つ覚えられる」というような単純なものではないのです。
実践的な示唆
本書は、子どもの言語習得に関する誤解を解きながら、実践的な示唆も提供しています。例えば、赤ちゃんに外国語のビデオやオーディオを聞かせても効果は期待できません。なぜなら、赤ちゃんにとって、そこから流れる音声は意味不明な雑音でしかないからです。
代わりに重要なのは、その言語を使う必要性を子ども自身が感じることです。例えば、両親がそれぞれ異なる言語を話す家庭で、子どもが両方の言語を習得できるのは、両方の言語に実際のコミュニケーションの必要性があるからです。
おわりに
本書は、言語習得研究の最新の知見を、分かりやすい具体例とともに紹介しています。特筆すべきは、著者自身による保育園での観察記録が随所に織り込まれていることです。これにより、研究成果が現実の子どもの姿とどう結びつくのかが生き生きと伝わってきます。
また本書は、言語教育に関する安易な思い込みに警鐘を鳴らすだけでなく、より効果的な言語学習のあり方についても示唆を与えています。母語であれ外国語であれ、言語の習得には相応の時間と努力が必要です。しかし同時に、その言語を使う必要性と意欲があれば、年齢に関係なく習得は可能だというメッセージも、本書は発しているのです。
近年の英語教育改革や早期教育への関心の高まりを考えると、本書の意義は極めて大きいと言えます。子どもの言語習得に関わる全ての人々に、ぜひ読んでいただきたい一冊です。