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【書評】『個別最適な学びの足場を組む。』

はじめに - なぜ今「個別最適な学び」なのか

2021年の中央教育審議会答申で打ち出された「個別最適な学び」。この概念は一見すると新しく感じられますが、実は100年以上の歴史を持つ教育理念であり実践の蓄積があることを、本書は丁寧に解き明かしていきます。

著者の奈須正裕氏は、個別最適な学びを「指導の個別化」と「学習の個性化」という2つの要素から捉え、その意義と可能性を歴史的経緯や実践事例、理論的背景から多角的に論じています。特に注目すべきは、個別最適な学びと協働的な学びが対立するものではなく、むしろ相補的で相互促進的な関係にあるという指摘です。

一斉指導の歴史的検証

本書の大きな特徴は、現在の学校教育の当たり前を歴史的に検証する視点です。私たちが自然なものと思っている一斉指導型の学校教育は、実は明治期に「発明」されたものでした。それ以前の寺子屋などでは、個別的な学びが一般的でした。

一斉指導は、国民皆教育を効率的に実現するための方策として採用されましたが、「みんな一緒」「同じペース」という前提は、子どもたち一人一人の学びの特性や個性を十分に考慮したものではありませんでした。著者は、この「雀の学校」的な画一性からの脱却を訴えます。

特に注目すべきは、明治初期の等級制から学年制への移行についての分析です。等級制では、半年ごとに試験があり、合格しなければ進級できませんでした。一方、現在の学年制は、同年齢の子どもたちが一緒に進級していく仕組みです。この変化は、効率的な教育システムの確立を目指す一方で、個々の学習進度の違いへの配慮を失わせる結果となったことが指摘されています。

新教育運動と個別最適な学びのルーツ

本書は、1880年代から1930年代にかけて世界的に展開された新教育運動に、個別最適な学びのルーツを見出しています。デューイをはじめとする新教育運動の思想家たちは、子どもを中心とした教育を提唱し、一人一人の興味・関心に基づく学びの重要性を説きました。

日本でも、奈良女子高等師範学校附属小学校(現・奈良女子大学附属小学校)での実践など、先進的な取り組みが行われていました。特に注目すべきは、「特設学習時間」という、子ども一人一人の興味・関心に応じた自由な学習の時間が設けられていたことです。

学習研究の進展と実践の深化

1950年代以降、心理学を中心とした学習研究の進展により、個別最適な学びは新たな理論的基盤を得ます。特に重要なのは、キャロルによる学習時間の研究です。彼は、十分な時間があれば誰でも学習課題を達成できると主張し、個人差は学習速度の違いとして捉えられると指摘しました。

また、クロンバックが提唱したATI(適性処遇交互作用)の考え方も重要です。これは、学習者の特性と指導法の間には相互作用があり、ある指導法が効果的な学習者とそうでない学習者がいることを示しています。この知見は、多様な指導法を用意することの重要性を裏付けています。

実践モデルとしての緒川小学校の取り組み

本書では、愛知県東浦町立緒川小学校の実践が詳しく紹介されています。同校では、「はげみ学習」「週間プログラム」「オープンタイム」という三つの個別最適な学びの形態を展開していました。

「はげみ学習」は、基礎的な学力の定着を目指す指導の個別化の取り組みです。文字、読書、計算、楽器演奏、器械体操などについて、子どもたちは自分のペースで学習を進めていきます。

「週間プログラム」は、単元の学習内容を自分で計画し実行する学習形態です。教師は「学習のてびき」という形で情報を提供しますが、学習の進め方は子どもに委ねられます。

「オープンタイム」は、子どもたちが自由に学習課題を設定して探究する時間です。これは学習の個性化の典型的な例といえます。

評価の考え方の転換

本書は、個別最適な学びを実現する上で、評価の考え方の転換が重要だと指摘します。特に、形成的評価と総括的評価を明確に区別する必要性を強調しています。

形成的評価は学習の途中で行われ、その目的は子どもの学習を改善することにあります。一方、総括的評価は学習の最終段階で行われ、達成度を判定します。著者は、形成的評価の結果を総括的評価に用いるべきではないと主張します。なぜなら、それは子どもの成長のプロセスを正当に評価することにならないからです。

ICT活用の可能性と課題

GIGAスクール構想による一人一台端末の環境は、個別最適な学びを実現する上で大きな可能性を持っています。特に、情報へのアクセスや学習記録の管理、個別フィードバックの提供などが容易になりました。

しかし著者は、テクノロジーの活用は教育の手段であって目的ではないことを強調します。AIドリルなどは基礎的な知識・技能の習得には効果的ですが、それだけで教育が完結するわけではありません。教師にしかできない重要な役割として、子どもの気持ちに寄り添い、個々の文脈に応じた支援を行うことが挙げられています。

学習環境デザインの重要性

本書の後半では、個別最適な学びを実現するための具体的な環境デザインについて詳しく解説されています。特に注目すべきは、以下の点です。

まず、子どもたちが「自分の都合」で学習材にアクセスできる環境づくりの重要性です。従来の一斉指導では、教材は教師の判断のもとで提供されていましたが、個別最適な学びでは、子どもが必要なときに必要な教材を自由に使えることが重要です。

また、掲示物の工夫も重要です。単なる装飾や作品展示ではなく、学習の手がかりとなる情報を提供する場として掲示を活用することが提案されています。

さらに、活動・体験のコーナーの設置も推奨されています。実験や観察、制作など、具体的な活動を通じて学ぶ機会を常に提供できる環境づくりが重要です。

教師の役割の再定義

個別最適な学びは、教師の役割を大きく変えます。教壇から一方的に知識を伝達する存在から、学習環境を整備し、一人一人の子どもの学びに寄り添う存在へと転換が求められます。

著者は、この転換を否定的に捉えるのではなく、むしろ教師の専門性をより発揮できる機会として位置づけています。子どもの学びの過程を丁寧に見取り、適切な支援を行うことこそ、教師に求められる重要な役割だと指摘します。

履修主義と修得主義の問題

本書では、履修主義と修得主義という二つの考え方についても詳しく論じられています。履修主義は、定められた教育課程の履修を重視する立場です。一方、修得主義は、実際に何を学び取ったかを重視します。

著者は、両者のバランスを取ることの重要性を指摘しつつ、特に「早修」(より早く先に進むこと)よりも「拡充」(現在の学習内容を深める)を重視する日本の伝統的な考え方の意義を強調しています。

まとめ - 教育の本質への回帰

本書は、個別最適な学びという概念を通じて、教育の本質的な問いに迫っています。それは「子どもたちは本来、有能な学び手である」という信頼に基づく教育の在り方です。

著者は、「みんな一緒」という呪縛からの解放を提唱します。しかしそれは、個々バラバラな学びを推奨するものではありません。むしろ、一人一人の個性を認め合い、互いに高め合える教育の実現を目指しているのです。

特に重要なのは、個別最適な学びは決して「新しい」ものではなく、むしろ教育の原点に立ち返るものだという指摘です。その意味で本書は、教育の本質を見つめ直すための貴重な手がかりを提供しているといえます。

本書は、理論と実践の両面から個別最適な学びの可能性を探る、示唆に富む一冊です。現場の教師はもちろん、教育に関心を持つすべての人にとって、これからの教育を考える上で重要な視座を提供してくれる著作といえるでしょう。


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