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【書評】『脳と仮想』
人間の意識と科学の限界
私たちの意識はどこから生まれ、どのように存在しているのでしょうか。脳科学者の茂木健一郎氏は、この根源的な問いに「仮想」という概念を手がかりに迫ります。本書は、人間の意識の本質を探求する、野心的な試みです。
脳内の神経細胞の活動から生まれる意識は、物質としての脳と切り離せない関係にありながら、同時に物質的な制約を超えて広がっていきます。サンタクロースのような、この世界のどこにも存在しないものを思い描くことができる。それが人間の意識の不思議な性質です。
著者、茂木 健一郎氏は、このような意識の特質を「仮想」という言葉で表現します。仮想とは、現実には存在しないけれども、確かに意識の中で生き生きと感じられるものです。サンタクロースを信じる子供の心には、サンタクロースが切実な存在として立ち現れています。
科学と意識の断絶
近代科学は、世界を数量化し、因果関係で説明することを追求してきました。しかし、意識の中で感じられる「赤さ」や「痛み」といった質的な体験(クオリア)は、数値では表現できません。科学は、意識の本質的な部分を扱うことができないのです。
著者は、評論家の小林秀雄氏の思索を手がかりに、科学的な世界観の限界を指摘します。小林は講演「信ずることと考えること」で、科学が扱う「経験」は人間の経験のごく一部に過ぎないと述べました。人間の意識の中には、科学では測定できない豊かな体験が満ちているのです。
他者との出会いと断絶
私たちは、他者の心を直接知ることはできません。他者の意識は、私たちにとって永遠に「仮想」としてしか存在しません。しかし、だからこそ他者との出会いには深い意味があります。
例えば、映画『東京物語』の老父と義理の娘の対話のシーンでは、二人は互いの心を完全に理解することはできませんが、それでも心が通い合う瞬間があります。著者は、このような他者との出会いの奇跡的な性質を、繊細に描き出しています。
記憶と仮想
私たちの記憶も、また仮想としての性質を持っています。思い出せる記憶は、実は記憶全体のごく一部です。思い出せない記憶の方が、むしろ私たちの人生に大きな影響を与えているかもしれません。
著者は、三木成夫氏の講演を聴いた体験を例に挙げます。その講演の内容は具体的には思い出せなくても、確かに著者の人生に影響を与え続けていた。そのような「思い出せない記憶」の重要性を、著者は指摘します。
言葉と仮想
私たちが使う言葉も、長い歴史の中で積み重ねられてきた仮想の結晶です。「光」や「悲しい」といった言葉には、数えきれないほどの人々の体験が染み込んでいます。
著者は、言葉を通して、人類の仮想の歴史とつながることができると説きます。現代のデジタル情報があふれる社会においても、言葉は依然として人間の精神の重要な基盤なのです。
魂の問題へ
本書の最後で著者は、「魂」という概念に行き着きます。デカルトが「我思う、ゆえに我あり」で示したように、意識を持つ自分の存在こそが、最も確実な事実かもしれません。
現代の脳科学は、魂が脳の神経細胞の働きから生まれることを示唆していますが、なぜそれが可能なのかは依然として謎です。著者は、この謎に向き合うためには、近代科学とは異なる思考の枠組みが必要だと主張します。
深い洞察に満ちた探求
本書の特徴は、脳科学の知見と人文学的な思索を結びつける、著者の柔軟な思考にあります。小林秀雄氏や三木成夫氏の思想を引用しながら、現代の認知科学の問題に新しい光を当てることに成功しています。
特に印象的なのは、著者が繰り返し強調する「生成」の重要性です。意識は常に新しいものを生み出しています。その創造的な性質こそが、人間の精神の本質なのかもしれません。
本書は、現代科学の限界を見据えながら、人間の意識の豊かさを擁護する試みとして読むことができます。専門的な内容を含みながらも、平易な文章で書かれており、意識の不思議さに関心を持つ一般読者にも推薦できる一冊です。