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【書評】『君の可能性-なぜ学校に行くのか』
人間の無限の可能性を信じて
1970年に出版された斎藤喜博氏の『君の可能性』は、中学生・高校生に向けて書かれた教育論です。しかし、この本は単なる教育論ではありません。人間の可能性を信じ、一人一人の生命をいつくしむ心に満ちた、深い人間理解に基づいた作品です。
著者の斎藤喜博氏は、群馬県の小学校教師として39年間教鞭をとり、特に島小学校での実践は戦後の民主主義教育を推進した指導者として高く評価されています。本書は教職を退いた翌年に執筆されました。中学生・高校生向けに書き始めたものの、次第に自分自身に言い聞かせるような気持ちになり、さらには大人や教師、政治家にも読んでもらいたいという思いで書き進めたと「あとがき」に記されています。
人間は誰もが可能性を持っている
本書の核心は「人間は誰もが無限の可能性を持っている」という信念です。この可能性は固定的なものではなく、学習や経験、環境によって引き出され、育てられるものだと斎藤氏は主張します。
その具体例として、死刑囚として処刑された歌人・島秋人の話が印象的です。小学校時代は「低能児」と呼ばれ、いじめられ、非行に走った島秋人でしたが、獄中で短歌と出会い、驚くべき才能を開花させました。この事例は、人間の可能性は決して一面的なものではなく、適切な環境と出会いによって引き出される多面的なものであることを示しています。
学校という場の意味
斎藤氏は学校という場を、個人では出せない力を引き出す場として捉えています。クラスという集団の中で、お互いの考えをぶつけ合い、高め合う中で、一人では到達できない高みに達することができると説きます。
具体的な例として、合唱の練習が挙げられています。一人で歌うときには出なかった声が、クラス全体で歌うことで美しく響き合い、予想もしなかった表現が生まれる。このような経験を通じて、個人の持つ可能性が引き出されていくのです。
仕事を通じて学ぶということ
本書では、学校での学びだけでなく、仕事を通じた学びの重要性も強調されています。例として挙げられる大工さんの話が印象的です。材木と「対話」しながら仕事をする大工さんの姿を通じて、仕事における創造性と学びの本質を示しています。
病や苦しみからの学び
斎藤氏は、病気や苦しみもまた重要な学びの機会になると説きます。自身も病弱な少年時代を送った経験から、そのような困難な経験が後の人生に活きてくることを語ります。苦しみや悲しみを通じて人は謙虚になり、より深く生きることを学ぶのだと説いています。
自然から学ぶことの大切さ
機械化が進む現代社会において、自然から学ぶことの重要性も強調されています。月見草の開花や蒲の穂の観察など、具体的な描写を通じて、自然の持つ生命力や美しさに触れることの大切さを説いています。
まとめ 一人一人をたいせつに
本書は、現代の教育や社会が抱える問題に対する鋭い批判も含んでいます。テストの点数だけで人を評価する教育や、人間を差別し選別することへの厳しい批判の目が向けられています。
しかし本書の本質は、そのような批判にとどまらず、一人一人の人間が持つ可能性への深い信頼と、その可能性を引き出すための具体的な示唆にあります。教室での学び、仕事での経験、自然との触れ合い、病や苦しみとの向き合い方など、様々な角度から人間の成長の可能性を描き出しています。
著者は「生きていることがうれしくてならない」という状態を理想として掲げます。それは単なる楽観主義ではなく、時には苦しみや悲しみを伴いながらも、自分の可能性を信じ、他者の可能性を信じて生きていく姿勢を意味しています。
50年以上前に書かれた本書ですが、その問題意識は現代においてむしろ一層切実さを増しているように思われます。教育の本質とは何か、人間の可能性をどう引き出すのか、という根源的な問いかけは、今なお私たちに深い示唆を与え続けています。
この本は、教育を通じて人間の可能性を信じ抜いた一人の教育者の、力強いメッセージとして読むことができます。それは単に子どもや若者だけでなく、すべての世代に向けられた、人間の可能性への信頼と希望の書として、今日も輝き続けているのです。