時に遠くを見やりつつ、粛々と足元に根を伸ばす
滋賀県湖北の地域情報誌”長浜み〜な”のリレーエッセイに寄稿しました。
ちょうどコロナ禍の自粛ムードが最高潮だったときに悶々としつつも久々に腰を据えて書いた文章。思いがけず、自分のこれまでを整理し、いまを見つめ、これからを考える良い機会になりました。
先日解禁になったので、こちらにもUPさせていただきます。
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私の湖北ぐらしは、8年前の初夏、夫の実家に嫁いだことからはじまった。
最初の1年は半身不随の義父と認知症が進む義母とのやりとり、モノで溢れかえった家中を整理することに明け暮れていた。自宅の斜め向かいには建具店を営んでいた頃の作業場が、長い間使われずに半分朽ちて建っており、それを夫婦で、時に親類に手伝ってもらいながら片付け、解体していった。翌年の始め、義父が闘病の末亡くなった。その春から、伊吹山の麓に田んぼをお借りして、夫婦で無農薬の米づくりをはじめた。じきに娘を授かり、義母を介護の後に見送って、息子を授かり。今の4人家族に落ち着いて、もうすぐ2年になる。米作りは今年で7年目。
滋賀に嫁ぐ前はベトナム南端にある聾唖学校で働いていた。その前は、美術作家になるためのレールをひたすら進んでいた。都心通勤者のベッドタウンのような場所で育った私は、物心ついた頃から常に世の中に対する違和感と、焦燥感にかられていて、それを解消するように作品をつくり、それが評価されることで生きる望みを繋いでいた。キャリア中心の、自然環境や身体の声を蔑ろにした暮らしだった。ベトナムでの2年間、その間に日本で起きた3.11の震災により見聞きしたこと、帰国後に嫁いだ今いる環境が、生き方を大きく変えてくれた。
視界の奥にはいつも清々しい山があり、ちょっと足を伸ばせば手つかずの自然に触れられ、散歩中には様々な小さな生き物に出会える。足元には食べられる野草や薬草があちこちに生えていて、獣の数は駆除されるほど。糀、味噌、漬物、陽の光や菌の力を借りてこしらえる様々な保存食は今では暮らしに欠かせないものになった。夫の頑張りのお陰で、昨年はなんとか家族の1年分以上のお米が育ってくれるようになった。今年はもう少し豆や野菜も育てたいと、畑作りにも精を出している。
こうして文章を書いている間にも、せっせと話しかけてくる子どもたちや、すくすく丈を伸ばす苗、発芽する種たち。彼らをみていると、私自身の過去や未来のことを考えるなんて時間、勿体ないと思えてくるほど、今此処に在る、身近なものの存在に満たされている。
家族に何を食べてもらおうか、手入れが必要な自宅や田畑にどう手を入れようか、日々猛スピードで成長する2人の子どもたちとの今日を如何に充実させようか。
ここ最近の関心事はそればかり。でもそれで良い、それが良いと思える今。
この今を重ねていくことで繋がる数年先を楽しみに、日々を生きている。
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プロフィール
1983年、埼玉県生まれ。東京藝術大学院修了後、作家生活を経て、青年海外協力隊として渡越、カマウ特別支援学校に勤務。2012年に帰国。現在は農作業、デザイン仕事、整体業の傍ら、渡部建具店という屋号で環境と生産者に配慮した商品を扱う店を営む。