既婚ゲイの近況
例の「静岡の出張」から帰ってきてから、いまに至るまでの約一ヶ月間、僕はさまざまなことに翻弄されていた。色々なものを飲み込み、ため込んでしまって、ストレスに塗れて(まみれて)いた。こういう時は、内圧を限界にまで高めてから、爆発するように書くに限る。それは単に、悩みやストレスを客観的に見ることができるから云々ではなく、「嫌なもの・苦しませるもの」と異なる土俵で戦うことができるし、ねじ伏せることができる。尤も、これは、マスターベーションなのかもしれないのだけれど。
僕の指先は、僕自身のなかにある怒り・血塗れの感情をエネルギーとして、ものすごい勢いで動いていく。もし紙とペンであれば、ペン先は、摩擦を引き払いながら、紙を素早く刻むように、勝手に動いていくだろう。僕はあの「出張」のすべてを書いておきたかった。何がなんでも、書き残しておくべきだ。こう思っていた。そう決意して断片を書き散らしている間に、色々なものに巻き込まれ、翻弄されてしまった。やっと時間が取ることができて、久しぶりに記事を書いた。先ずは「出張報告」を書くべきなのに。
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四連休は本当に苦痛だった。
喧嘩をした。「こんな結婚生活のはずではなかった!」喧嘩の最中、まるで痙攣発作を起こしたように、妻がこう叫んだ。醒めた目で妻を眺める僕は、心の中でこうtweetした。「そうかい、そうかい。では、例の書類を準備しておくれやす」。しかし、妻に対する苛立ちは一向に収まらなかった。
相変わらず妻は「ガサツ」で要領だけはいい。彼女にとって「短時間で平均点より少し上をとる」ことが何よりの美徳であり、また気を遣うことはコストとしてカウントされる。全てにおいてそうであり、徹底されている。時間をお金で買うように、ストレス・レスな状態もお金で——それも安く——買う、買おうとする。一見すると、合理的で、現代的で良さげだけれども、メリハリがない。それらの行為のオチと実態は、いつも「杜撰」でガサツなだけである。品もない。だらしない。その有様を眺めながら、いつも僕は「こういうものの考え方が、文化や芸術を侵していくのだろうな」と、心の中で軽蔑している。そして時々キレる。
例えば高価なきちんとした食器類を揃えるとする。「揃えておかないと恥ずかしい・揃えておくべきだ」と考える僕、「そんないつ使うか分からないものは、邪魔だから要らない」と反射的に・皮膚感覚で拒絶する妻——、すでに立っている地面が異なる。妻はこう述べる。「こういうものは、洗い方などケアが大変である。このケアは時間の無駄であり、ストレスを増大させるものであるから、雑に扱えるものがよい。そういうものならば、使っている間も気を遣わずに済むし、後片付けも楽である。さっと洗えて、適当に置いておける。ついでに言えば、安い方がいいに決まっている。買値が安いのだから、ダメになったら、また買えばいい」。
呆れて開いた口が塞がらない。僕は怒る。そして内心罵る。——そういうものに囲まれて育ったから、そういうものを使って生活をしてきたから、そして、結婚してからもこんなこと考えているから、ますますガサツなのだ。物を大切にできないのだ。品がないのだ。
妻は鈍感で、容易に開き直る。「大切にする」ということを、単に傷を付けないことと勘違いをしている。白州正子の文章を読ませてやりたい。僕の家のしきたり(そんな大層なものではないけれども、xxやyyは揃えておくべきといった程度のもの)も、彼女にとっては(経済的にも実利的にも)非合理的の極みで、無駄に満ちている。無駄だとか、使わなかったらどうするのかとか、いつも不貞腐れる。この手の話くらいですぐに喧嘩になる。怒鳴りあいの喧嘩にもなる。
このことは両親も兄弟も見抜いている。母は「倹約とケチの違いよね。そういう風に育ってしまったのよ」と頭を抱えている。弟と姉からは「ゆういちさんは、もし結婚するならば、同じ没落旧家の令嬢と結婚する、とか仰っていましたわね。心中ご察しするけれども、何か笑えるわ。色々と」。こんな風に、ざーます調で皮肉を言われる始末で、父に至っては、色々な感情を超えて最早なにも言わない。言ってはくれない。
妻から言わせれば「非合理の塊」のような家の長男として、厳しく(しかし結果的には、わがままに)育てられた僕と、すべてがスマートでストレスレスな環境で、損失が最小限に抑えられた家の末っ子として、わがままに育った妻——、この対比と距離には、ときどき目が眩む思いがする。
話し合いも、話し合いの方法もかみ合わない。だからお互い分かるまで戦う。同じ土俵に乗るまで戦う。そのあと、やっと本題に入る。そして戦う。戦い方は異なる。返り血、天井や壁や床に飛び散った血——、どちらかが失血死寸前になるまで戦い抜く。一通りお互い血を流し合った後、やっと終わる。平均して4時間は戦う。建設的な意見など出てこない。大抵は僕の「こういうものです。ならぬものは、ならぬのです」で終わる。
四連休の喧嘩では、お互い血を流しあった後、先ほどまで泣き叫んで床に座り込んでいた妻が、まるで我儘を言うように、当て擦るように、そして不貞腐れて「結局は価値観の違いよね」と呟いた。余りにもくだらなくて、自室に戻ろうとした。ゆったりとした足取りで。妻の前を通り過ぎる時、軽く立ち止まった。一瞥し、呟いた。——生まれも育ちも、青春時代の過ごし方も違うのだから、仕方があるまい。
僕は再びゆったりと歩き始めた。自室に入りかけた僕の背中に向けて、妻は「あなたはお金に困ったことがないから、そういうことが言えるのよ」と怒鳴りつけた。矢が飛んできた。空気を切る音が鳴るほどの矢であった。僕は素早く左回りに身を翻した。飛んできた矢を右手で掴み、すぐ弓に番える(つがえる)。ここで射損じては恥なりと、折れんばかりに弓を引き絞って、彼女の脳髄を目掛けて射返した。もちろん心の中で、である。
——「金」ではあるまい。
まるで平家物語の「扇の的」を思い起こさせる。撃ち落とされた扇は紅地で「金」の日輪(まる)が書かれていた。はて、なんとも——。僕は無言で自室に入った。東国の弓と矢で人を射落とすことなぞ、どうでもいい話だ。
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カミングアウトをしたゲイの友人が自殺をした。俳優のMHさんを追うように、その約一週間後に。それも同じ方法で。彼を駆り立ててしまったものは、セクシャリティに関する周囲の無理解・嫌悪感であったとか、何とか。申し訳ないのだけれど、今だによく把握できていない。ずっと連絡が途絶えていた友人であったけれども、友人の友人から、僕はこのことを知った。
僕のピアノの恩師が自殺未遂をした。アルコール+睡眠薬の状態で、やはり縊死を試みるも、その寸前で止められた、——らしい。MHさんに先立つこと三日前の出来事だったという。先生とはゲイコミュニティで知り合った。隣の県の県庁所在地に住んでいる方で、音楽の趣味も合う。先生・生徒といった関係よりも、むしろ友人に近い。僕が出張で東京に行くときは、もし先生に時間があれば、東京まで出てきてもらって、飲んだことが何度かある。普段ゆるくLINEでやり取りをしているけれども、そう言えば、ちょうどその頃は連絡が途絶えていた。ただ、数回着信があった。LINEから、携帯の電話番号から、勤務先から。ちょうどその頃に——。
「実は未遂をしてしまって」と最近教えられた。詳細を述べるメッセージには、所々おかしな、ひらがなの文字列が挿入されていた。その後も、意味不明の文字列が何通も送られてきた。先生はモスクワに留学されていた。もしやロシア語か何かとも思ったけれども、そうではなさそうだった。精神科に通って適切な病名を与えられ、薬を処方され、服薬して、日々を何もせずに過ごしているらしい。先生はここ数ヶ月、辛い辛いと言っていた。僕は学生時代、死にたい死にたいと言っていた。xx君は結婚してしまって、一方で僕は孤独死だろうな、なんて、真剣なのか冗談なのか、ことある毎に言っていた。僕はよくわからなかった。
幸いにも未遂で済んだものの、先生を追いやったものは何だったのか。先に述べた友人の縊死にしても、先生の未遂にしても、僕の心は激しく揺り動かされ、こんなことをしている僕こそが「先ず」自殺すべきではないか、などと思っていた。しかし一方で、僕は何かを——それは、ストレートに言えば「ゲイの」、言葉を重ねるならば「ゲイであったころの」何かを——失ってしまった気がする。自意識だろうか。共感のセンサーだろうか。皮膚感覚だろうか。よくわからない。ただ明らかに僕は、何かを失った気がする。
どちらにも(その「どちら」はわざとお教え致しませんが)なれない僕がいる。悲しいのだけれど、上手に悲しみの湖に潜っていくことができない。なかなか沈まないのだ。平家物語の「先帝身投」のようにはいかないのだ。学生時代の僕だったら、するすると潜れた気がするのだけれど……。
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もうひとつ。パワハラでずっと悩んでいた、いや、いる。どうも僕はある種の人々に舐められやすい。揚げ足を取られやすい。このことは後で書こうと思う。陰湿なのだ。僕を翻弄していた一つである。正々堂々と勝負できないのか、そんな年齢にもなって。一騎打ちならば、いつでも受けて立つのに。時代遅れの甲冑を着て、刀を振り回しているのは、どうやら僕だけのようだ。とにかく僕は疲れた。疲れた。
追記:最近ずっと、深夜ひとりで映画を観ている。もののけ姫、ラスト・エンペラー、壬生義士伝、山猫、ヴェニスに死す——、いつものメニューだ。
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