#21. 【江夏の21球】プレイヤーとマネージャーの心理
プロ野球の名シーンから紐解く、立場の違いと人間心理
チームで頂点を目指すプロスポーツ。
最高峰の技術・力・精神がぶつかり合うシーンで、個人と個人の心理によるドラマが生まれることがあります。
対戦相手との心理状況が取り上げられることはよくありますが、今回は同じチーム内での監督と選手との微妙な心理状況について取り上げてみます。
そのシーンとは、プロ野球の名勝負のひとつ「江夏の21球」です。
スポーツの名シーンの話ではありますが、ビジネスの世界でも同じ組織内での立場の違いから心理状況のすれ違いが生じることがあります。
ビジネスの世界で闘うあなたにも、ぜひ読んで頂きたいお話です。
それでは、スタートです。
1979年 日本シリーズ第7戦
球史に残る「江夏の21球」
「江夏の21球」といえば、日本プロ野球史に残る名シーンの一つです。
1979年。今から45年前の日本シリーズ。
日本シリーズとは、プロ野球のセ・リーグ覇者とパ・リーグ覇者のチームが対戦する、最高峰の戦いです。
4勝を先取したチームが、その年の日本一に輝きます。
このシーズンの日本シリーズは、セ・リーグ覇者の広島東洋カープと、パ・リーグ覇者の近鉄バファローズの戦いでした。
広島3勝、近鉄3勝と、お互い譲らずに迎えた第7戦。
どちらが勝っても、球団創設以来初の日本一という状況でした。
この試合のクライマックスで、劇的なドラマが生まれます。
9回裏、広島4-3近鉄と、広島が1点リードで迎えた近鉄の攻撃。
マウンド上には、広島の抑えの切り札の江夏豊。
江夏は阪神タイガースで数々の伝説を残し、南海ホークスを経て抑えに転向。広島でも抑えの切り札としてフル回転し、1979年のシーズンも大活躍でした。
その江夏が、9回裏にノーアウト満塁のピンチを招きます。
一打同点、逆転サヨナラのピンチ。
結果的には、江夏が近鉄打線を抑え、広島が球団創設以来初の日本一に輝きます。
9回裏に江夏が投じたのは21球。
これが、俗にいう「江夏の21球」です。
プレイヤー(選手)とマネージャー(監督)の、心理状況の違い
この極限状態の場面で、数々のドラマが生まれます。
その一つに、マウンド上の江夏と、広島監督の古葉竹識の立場の違いから生じるお互いの心理状況の違いが挙げられます。
チームの日本一という頂点を目指した闘い。
目指すものは同じはずなのに、プレイヤー(選手)とマネージャー(監督)では全く違う心理状況になることがあります。
この試合でも、非常に興味深い、投手・江夏と監督・古葉の心理状況の違いが見られます。
9回裏、最後のマウンドを託された江夏
江夏はノーアウト満塁のピンチを迎える
9回裏。チーム初の日本一に向けた最後のマウンドに立った江夏は、先頭打者に対しての初球、ヒットを許します。
その後、盗塁とエラーでノーアウト3塁に。
さらに、四球と敬遠でノーアウト満塁のピンチを迎えます。
外野フライで同点、ヒットや長打が出ればたちまち逆転サヨナラの場面です。
江夏にとっては絶体絶命の場面。
この場面で、近鉄は代打に佐々木恭介を送り込みます。
佐々木は、1979年のシーズン打率.320を記録している強打者。
しかしこのとき、マウンド上の江夏の闘争心はバッターの佐々木ではなく、なんと自チームのベンチ・首脳陣へと向けられていました。
広島ベンチは、リリーフ投手を準備させる
江夏の闘争心が自チームのベンチへ向けられたのは、広島ベンチがリリーフ投手の準備を指示したからです。
舞台は大阪球場。ブルペン(投手が投球練習をする場所)はグラウンド上にあり、当然、江夏の視界にも次の投手が準備をする姿が目に入ります。
実は、このシーズン中、広島は同様の場面であっても江夏の次に投手を準備させることはありませんでした。
それは、「江夏で打たれたら仕方ない。チームにはそれ以上のピッチャーはいない」という、首脳陣からの信頼の証しでもありました。
自惚れが非常に強く、プライドの塊のような江夏。
実際、シーズン中はチームの数々のピンチを救ってきました。
非常に投手向きの性格の男です。
江夏のこれまでの13年間のプロ野球生活を支えてきたと言ってもいい、自負心。
シーズン中はずっと信頼してしてくれていたチームの首脳陣に、江夏は自負心を傷つけられ、裏切られたような心境に陥ります。
それは、試合展開に対する動揺ではなく、チームからの自分への扱いに対する動揺となり、江夏の気持ちをかき乱します。
試合の展開を読み、延長戦の突入を見据える古葉監督
「実務的」で冷静な指揮官
いっぽうの古葉監督はこのとき、江夏の自尊心に傷をつけようとは、まったく考えていません。
ブルペンに次の投手の準備をさせたのは、仮にこの場面で1点を取られたとして延長戦に入った場合を考えたからです。
延長戦に入ってから、あわてて次の投手を準備させては、間に合わない。
緊迫した試合展開で、古葉監督はひたすら実務的であろうとしていました。
それゆえ、マウンド上の江夏の感情の揺れに気付いていません。
監督とは、「いかに冷酷になれるか」
チームを日本一に導くため、戦況を冷静に分析するのは、監督としては当然のこととも言えます。
この場面をネット裏で観戦していた野村克也(当時西武所属)も、マウンド上の江夏と指揮官の古葉の双方の視点から、次のように言及しています。
江夏の心境の変化にグラウンド上で真っ先に気付いた、広島の選手とは
9回裏。1点差。ノーアウト満塁
場面を試合に戻します。
9回裏。ノーアウト満塁。
辛うじて、広島が1点をリード。
ピッチャー・江夏。バッター・佐々木。
広島、近鉄ともに「切り札」として送り出したリリーフエースと、とっておきの代打の強打者。
江夏が佐々木に投じた3球目。カーブ。
あわや逆転サヨナラ打かと思われた、3塁線を襲うファール。
それでも江夏は至って冷静です。
しかし、江夏は動揺しています。
自チームのベンチ・ブルペンの動きに。
マウンドに近寄る一塁手、衣笠祥雄
江夏が佐々木に投じた3球目が、わずかに3塁線を切れるファールとなり、ボールカウントは1ボール2ストライクに。
その直後、広島の一塁手・衣笠祥雄がマウンド上の江夏に近寄ります。
日本シリーズの大詰め。
一打逆転、その時点で日本一は近鉄の手に。
エラーなどのミスでも犯せば、戦犯として永遠に語り継がれることでしょう。
この息づまる試合展開のなか、守る広島の選手の誰もが「オレのところに飛んでくるな」と思っていたはずです。
緊迫した雰囲気に飲まれそうになる場面。
守る広島の選手の誰もが、自分のことでいっぱいいっぱいになっていたことでしょう。
しかし、マウンドに近寄った衣笠には、このときの江夏の気持ちが手に取るように分かっていたといいます。
抑えの切り札と自負する自分のあとの投手を準備するベンチへの憤り。
衣笠は、江夏に声をかけました。
衣笠には、ブルペンの様子を気にして憤りを感じている江夏の気持ちが分かっていたのです。
衣笠は江夏と同じ気持ちだったと言います。
同じ場面で、江夏の回想。
集中力を取り戻した江夏。そして、運命の19球目
江夏は衣笠のひとことで集中力を取り戻す
江夏が、佐々木への勝負球をカーブにしようと決めたのは、その直後のことでした。
佐々木の前の打者、平野光泰は結局は敬遠で歩かせていましたが、その勝負のなかで投じていたカーブのキレに江夏は手応えを感じていました。
佐々木との勝負。
2ストライクと追い込んだあと、江夏はボールゾーンのカーブとストレートを投げ込み、佐々木を困惑させます。
そして、最後はストライクゾーンからボールへと変化するカーブで、佐々木を空振り三振に斬ってとります。
この回に江夏が投じた17球目でした。
フォアボールすら与えられない場面での、ボール球での勝負。
素晴らしい投球術。
江夏は、衣笠のひとことにより、完全に集中力を取り戻していました。
そして、運命の19球目
代打・佐々木を空振り三振に斬ってとり、江夏はようやく1アウトを奪います。
そして、続く打者はトップバッターの石渡茂。
初球のカーブを見逃してストライク。
このとき江夏は、石渡があまりにも簡単に初球のストライクを見逃したことで、次はスクイズで攻めてくることを直感で感じたと言います。
そして、運命の19球目。
近鉄ベンチは、江夏の予想通りスクイズのサインを出していました。
江夏は、この1球にカーブを選びます。
投球モーションに入る江夏。その瞬間、打者・石渡はバントの構えを見せます。
そして投球モーションに入った江夏は、なんとカーブの握りをしたまま、石渡のわずかな動きを見てボールを外角高めに大きく外します。
その時間、わずか0コンマ何秒の世界。
江夏からの左腕から放たれたボールは、ブレーキをかけながら曲がり落ちて石渡の突き出したバットの下をくぐっていきます。
空振り。スタートを切っていた3塁ランナーは、あっけなく三本間に挟まれてタッチアウト。スクイズ失敗。
カーブの握りのままスクイズを外す「神業」
野球の常識的に考えて、カーブの握りで投球モーションに入った投手が、瞬間的にボールを高めに外すことは暴投の危険が伴います。
この場面で暴投すれば3塁ランナーが生還し、同点は免れません。
狙って外したというこの1球を、江夏自身は「神業」と評しています。
最後の21球目も、江夏はカーブを選んだ
カウントはピッチャー有利に
19球目のスクイズ失敗で、2アウトランナー2・3塁と場面は変わります。
ボールカウントはノーボール・2ストライク。
依然として近鉄の逆転サヨナラのチャンスは続きますが、ピッチャー有利のカウントとなります。
続く石渡への3球目、この回の20球目はストレート。
ファールでカウントは変わらず。
最後の勝負球は、やはりカーブ
21球目、江夏はカーブを選択して勝負に出ます。
ストライクからボールになる球筋で、打ちに行った石渡のバットは空を切ります。
この瞬間、広島の球団創設以来初の日本一が決定。
9回裏の攻防、時間にして26分49秒。
江夏はマウンドから降りようとはしませんでした。
「江夏の21球」という名勝負が、後世まで語り継がれる理由
①緊迫した試合展開
日本シリーズの第7戦。9回裏。1点差。
どちらが勝っても、球団創設以来初の日本一。
この上なく緊迫したシリーズの最後の決戦の最終回のマウンドに立つ、広島の抑えのエース江夏。
そして、ノーアウト満塁という極限の場面。
この緊迫した場面での勝負が見どころのひとつと言えます。
②最高峰の技術のぶつかり合い
感情をかき乱されたマウンド上の江夏が、一塁手の衣笠の一言により集中力を取り戻してからのピッチングは圧巻でした。
フォアボールが許されない場面でも、あえてボール球を織り交ぜるピッチングの組み立て。
ストレートとカーブの緩急。
抜群のコントロール。
勝負度胸。
これまでも数々の伝説を作り上げてきた左腕、江夏の投球術は見事です。
③緊迫した場面での人間模様
プライドの高い投手・江夏が、自分のあとに投げる投手を準備されたことに対する感情の揺れ。
試合展開を読んで冷静な指揮を執ろうとする、監督の古葉。
日本一を目指した戦いのなかで、生まれるすれ違い。
プレイヤーとマネージャーの考えや気持ちのすれ違いは、スポーツの世界だけでなくビジネスシーンでもよく見られます。
お互いの立場で最高のパフォーマンス、最善を尽くそうとするからこそ生まれる齟齬を見て、観る者の経験とも照らし合わせてしまうのでしょう。
そして、江夏の感情の揺れに気付いた一塁手の衣笠。
江夏は翌1980年のシーズンを最後にトレードで広島を離れることになりますが、衣笠とは生涯の盟友となります。
ちなみに、江夏はこの日の首脳陣に対する憤りを翌年のペナントレースの開幕戦の開始前に監督の古葉にぶつけ、両者の話し合いの末に和解したと語っています。
「江夏の21球」の作品化
『Sports Graphic Number』の創刊号に掲載
この試合の9回裏の江夏のピッチングの模様は、故・山際淳司氏による短編ノンフィクション「江夏の21球」として作品化され、現在も刊行が続いている『Sports Graphic Number』の創刊号に掲載されました。
エッセイ集『スローカーブを、もう一球』にも収録
短編ノンフィクション「江夏の21球」は、その後 山際氏のエッセイ集『スローカーブを、もう一球』(角川文庫 1981年)にも収録されることになりました。
NHK特集・スポーツドキュメント『江夏の21球』
1983年1月24日、NHK特集で放映されました。
この試合の9回裏の模様を、出場した選手の談話や野村克也の解説を交えて映像化されています。
こちらはYou Tubeでもご覧いただけます。