見出し画像

心も体も動かされた、小さな町の本屋さんの物語

広島県庄原市東城町。

広島県の北部の山あいに位置する人口6,500人ほどの小さな町。

この町の人たちがなんでも相談にくるという本屋さん「ウィー東城店」の物語が、『本屋で待つ』(佐藤友則・島田潤一郎 著)に収められています。


この物語が、とても心に響きました。


著者の佐藤友則さんはこの本屋さんの店長でした。
佐藤さんが店長として勤務していた頃の出来事が、『本屋で待つ』のメインストーリーになっています。


タイトルの「本屋で待つ」とは、2つの意味が含まれていると感じました。

一つは、お客さんを待つこと。

ウィー東城店は、何か困りごとがある人の駆け込み寺のような存在。
そのようになった経緯が、本には綴られています。

そしてもう一つの「本屋で待つ」とは、店長の佐藤さんがこのお店で働く若者の成長をじっくり待っていたことだと気づきました。


あるときを境に、ウィー東城店には学校に行けなくなった高校生や、引きこもりを経験した若者といった「社会に馴染めない若者」が、なぜかたくさんアルバイトをしに来るようになったそうです。

そういった若者は普段は家庭以外で人と接する機会は少なく、レジの中で黙って立っているだけでも精いっぱいという様子。

そんな、一歩を踏み出すことができない若者との出会いが、佐藤さんに「待つ」ことを教えてくれたといいます。

なんでもエネルギッシュにこなしていく佐藤さんは、自分と同じような働き方を押し付けて求めていた過去から、多くの挫折を経て次第に寄り添うことの大切さを知り、若者たちのありのままを受け入れられるようになったそうです。


学校には通えない。でも、勇気を出してアルバイトをしてみようと働きに来た若者は、「こうあるべき」という枠がしんどい。人間関係がしんどい。
そんな子たちに、佐藤さんは「そのままでいいよ」と伝え続けました。
そして、その「そのままでいいよ」が彼ら・彼女らの心にきちんと届いたときから、彼ら・彼女らは輝いていく。

レジから「いらっしゃいませ」を、聞こえないほどの小さな声でしか言えなかった子が、少しずつお客さんに聞こえるような声で言えるようになり、戦々恐々としながらもレジを扱うようになり、ブックカバーを折るようになる。そんな若者の横顔を佐藤さんはずっと近くで見守りながら、「待つ」。

慣れない仕事にクタクタになる子たちが、「今日は1時間早く帰っていいですか?」と言って来たら、佐藤さんは迷わず「いいよ」と言ったそうです。

彼らには彼らのペースがあり、それを守ってあげること。

そうしているうちに、彼らはコミュニケーションの幅を広げていき、いつしかレジでお客さんと笑って話ができるようになっていった・・・


「ゆっくり、元気になる」と、この本の帯に書かれています。

社会に馴染めなかった若者が、ウィー東城店で働くことを通じて少しずつ元気になったのは、佐藤さんの挫折の経験から「本屋で待つ」ことができるようになった変化がそうさせました。

 学校に行けなくなった子たちにたいして、ぼくがよくいうことがある。それは、君らのほうがずっと強いよ、ということだ。
 多くの人たちは集団から外れることを嫌う。でも、君たちは集団から外れるという勇気ある選択をした。
 だからすごいんだ。
(中略)
 社会にある、たくさんの基準。それは、異性と結婚したほうがいいということであり、その生活は長く続いたほうがいいということであり、結婚したからには子どもはいたほうがいいということであり、その子どもは学校へ休まずちゃんと通ったほうがいいということである。
 そういう目に見えない基準、あるいは締め付けのようなものは、もしかしたら都会よりも東城のような田舎のほうがきびしいのかもしれない。親や祖父母だけでなく、親戚やご近所さんたちも、暗黙のうちに若者たちにそれを求める。
 言うまでもなく、その基準から外れるのには、並々ならぬ決断力が要る。たとえ、その選択肢しか選べないのだとしても、その道を一歩あゆみはじめるのには、心が震えるくらいの勇気が要る。
 だからこそ、ぼくは彼ら、彼女たちにいつもこんなふうにいう。
「よくその決断をしたね」

『本屋で待つ』p.128-p.130 決断 より

私がこの本でもっとも心に響いた一節です。


この素敵な物語が私の心を震わせ、さらには私の足を山あいの小さな町の本屋さんへと運んでいました。

そして、本屋さんへ足を踏み入れた瞬間、心からのあたたかい「いらっしゃいませ」という声が、私を迎えてくれました。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集