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🍀なんなる35未来の種蒔篇(12)「世界の子ども権利かるた×インクルーシブ教育」
1)『世界の子ども権利かるた』
2022年の国連勧告以来、自分の中で大きく膨らんでいる「インクルーシブ教育」に絡めながら参加した、『世界の子ども権利かるた』。このワークがとても素敵すぎた。
1⃣「一番印象に残ったかるた」と聞かれて、私は。
「ほ」 法律は子どものためにもあるんだよ。
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中学生の時に日本国憲法の条文を学んで以来、ずっと考えている。近々、「その能力に応じて、ひとしく」とは何か、勉強する会があるので楽しみにしているところである。
2⃣「一番子どもに伝えたいかるた」と聞かれて、私は。
「し」 しりたい考えたいいろいろな道があること。
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「聞こえない子は聾学校」と周りの大人から聞かされてきた私としては、家庭環境次第で地域の学校にインテグレーションする道があったこと、欧米には聾学校がない国があることを知ったとき、大きなカルチャーショックを受けた。「ひとつの選択肢しかない」と諦めてしまった自分が、なんか悲しかった。
だからこそ、子どもたちには「いろいろな道がある」ことを伝えたいと思った。
3⃣「子どもたちが感じているもやもや、自分が子どものときに感じたもやもやでオリジナルかるたを作ってみて」と聞かれて、私は。
「が」 学校ってなんだろう。
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「分離教育」の文脈で自分の学校生活を語ると、昔の古傷がまだ全然癒えていないことに気付いた。だから、学校で過ごした歩みを広く語ることは、できるならしたくない。、、、、、、が。
「インクルーシブ教育」という文脈で自分が歩んだ学校生活を重ねてみると、「多様なお友だちと一緒に過ごしたことで得たもの」という意味ではとても貴重な経験をしてきたと思える。
よく聞くのが「多様なお友だちと一緒にいると、勉強が遅れてしまう(足を引っ張られる)」という声であるが、私個人としては全くそう思わない。
「もっと勉強したい子もゆっくりな子も同じ場所で共に学び暮らすことは実現可能である」
と、自分が歩んだ学校生活を振り返ってみて、自信をもって肯定することができる。今月、定員内不合格問題に関してC県社会福祉士会が「こどもが未来への選択肢を増やせるために」という声明文を出しているが、同じ文脈に乗せて深く語らい合っていきたい内容である。「勉強が遅れる(足を引っ張られる)」もしくは「勉強についていけない子と一緒に交わることはできない」と感じさせてしまうものの正体(学歴主義)について、社会側(大人側)がしっかり向き合わなければいけない。
2)かるた監修の甲斐田万智子先生の「子どもの権利」についてのお話をうかがって
1⃣印象に残ったこと
◎日本的文脈で捉えられがちな子ども観(指導する、支援する対象)からの 脱却。共に社会を良くするためのパートナーとしての子ども。
◎日本は、自分の気持ちを伝えてもわかってもらえないと諦めて1人で苦しんで孤立してしまう子どもが多いこと。あるいは、自分の意見を聞いてもらって社会側が変わってくれたという経験がないからどうせ自分ごときが何を言っても何も変わらないっていうふうに思ってしまうことが多いこと。
◎子どもの意見、障がいを持ってる子どもの意見も尊重される権利がある。しかし、なかなか障がいを持った子供たちは、意思決定過程から外れることが多いこと。
◎2006年の国連子どもの権利委員会一般的意見9号(日本語訳:平野裕二氏)、2022年の「障害のある子どもの権利」に関する国連・子どもの権利委員会と障害者権利委員会の共同声明(日本語訳:平野裕二氏)でも、インクルーシブ教育について言及されているとのこと。
2⃣子どもの権利条約第15条と協同学習
◎子どもの権利条約第15条で、(子どもも大人と同じように)市民として社会に参加するために、グループを作り、集まる権利がある、としていること。
この第15条は、日本的文脈からは発想しにくい事柄で、なかなか日本社会では大事な権利だと受け止め切れていない部分でもあるとのこと。ここで、大内氏のイタリアの学校のレポートの一文を思い起こした。
まず各グループの授業計画に共通していえるのは、すべての計画が「障害のある生徒をふくめて、生徒同士がお互いに教え合い、学び合いながら進めていく協同学習」として企画されていることである。
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市民として社会に参加するために、グループを作り、集まる権利。
多様な子どもたちでグループを作って子ども同士がお互いに教え合い、学び合いながら進めていく協同学習の在り方。
この二つはシンクロしているように、私は感じた。
インクルーシブ教育を、子どもの権利条約と照らし合わせながら捉えていく作業も面白い。
人はカラフルなのだ。
人の内面もまたカラフルなのだ。