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唐揚げ定食
定食屋と言うには少しおしゃれで、カフェと言うには少し雑な作りの小さなご飯屋さん。席はカウンターだけ。そこの唐揚げ定食をよく食べる。
おそらくおじさんがひとりで営んでいて、いつもせっせかせっせかご飯を作っている。
おじさんといっても、私より少し上。くらいだろうか。
握りこぶしサイズの唐揚げがでっかいお皿にごろごろと。油の中から直接口の中に放り込まれたかのように熱い。お腹のコンディションが良くないと食べきれないほどの量。
マヨネーズ要ります?と言われ、くださいと言うと業務用サイズのマヨネーズをそのまま渡される。
唐揚げ屋さんではないので、他にもハンバーグ定食やオムライス、カレーもある。
駅近のお店ということもあって私が行くときは比較的いつも混雑していて、行列というほどのものではないものの、待っている人がいる時もある。
先日、お昼の時間から少し外れた15時前に行った。
その時間帯というのもあり、さすがに店内には1組しか居なかった。
その1組も私が唐揚げ定食を頼む頃には出て行ってしまい、店内には私だけ。いや、私とおじさんだけになった。
おじさんの接客はいつも物腰柔らかで、愛想が良い。だからといってぐいぐい話をかけてくるわけではない。
嫌な意味ではないけれど、私は勝手に口数の少ない人だと思っていた。
唐揚げ定食お待たせしました。と渡され、ありがとうございます。と受け取る。マヨネーズ要ります?と聞かれ、お願いします。と答える。
そんないつものやりとりが終わった後、口の中の火傷に注意しながら唐揚げを食べた。
BGMの無い店内で、私の咀嚼音とおじさんが厨房の後片付けをする音だけが聞こえた。
「この時間、めずらしいっすね」
私が最後の唐揚げを食べ終わり、味噌汁を飲み干した頃、頭に巻いていたタオルを外しながらおじさんが声をかけてきた。
おじさんは思ったより短髪で、白髪混じり。少しくたびれた頭。というのだろうか。でも髪の量は多かった。
口数の少ない人だと思っていた人が声をかけてきたもんで、とても驚いた私は
「えっ。あっ。はいっ。そうですね。今日はちょっと遅いです」
と、ヘンテコな返事をした。そんな自分に恥ずかしくなって、顔が唐揚げくらい熱くなった。
私のヘンテコな返事のせいで会話はそれ以上続かなかった。
気まずさの中、おじさんはしばらく厨房の中でパタパタと動いて、誰もいないのに何かを作ってるなと思ったら、丼にご飯と何かをドサッと入れたものを持ってカウンターの端の席に座った。
「ちょっと一瞬だけ食べますね。すいません」
マスクを外して面白いくらいに勢いよくご飯をかき込む気配は感じていたけれど、それをじっくり見るのは失礼だと思って出来なかった。
ただ、見ていないのにもぐもぐしているのがわかるほどもぐもぐしていた。気配もぐもぐ。
ほんの2分くらいで丼を空にして、水を飲んで、またマスクを付けた。
「ほんとすいません。お見苦しいところを」
ヘコヘコしながら笑ってそう言うおじさんに、私もいえいえとヘコヘコした。相ヘコヘコ。
「いつも忙しそうですねぇ。まぁ良いことですけど」
私は名誉挽回をするべくおじさんに声をかけた。会話ができない人だと思われたまま店を出たくなかった。
「やっとお客さんが戻ってきたって感じですね。コロナが流行り始めた頃とか、ほんとにどうしようかと思いましたよ。このまま潰れちゃうのかなって」
ここ最近でテンプレート化した、そういう系の会話だった。
「ここ、長いんですか?」
「7年目に入りました。そのうちの3分の1くらいはコロナですけどね」
「そっか。大変ですよねぇ。私だったら心折れそうですよ。飲食店の皆さん凄いなぁって思います」
これも、テンプレート。
「マジで何回も心折れそうになりましたよ。でも嫁と子どもを犠牲にしてまで始めたんで、簡単には諦められないってやつっすねぇ」
ここで興味スイッチがオン。
「犠牲?」
インタビュアーのごとく前のめりにおじさんの人生についての話を聞いた。
おじさんは昔、公務員だった。
料理をするのが好きで、家でもよく作っては奥さんに食べさせていた。
特に評判が良かったのは唐揚げ。
いつか自分のお店を持ちたいとひっそり思いながら公務員として働き続け、奥さんにはその夢について言っていなかった。
どうにも我慢ができなくなり、思い切って、仕事を辞めて飲食店で数年勉強をした後に自分の店を持ちたいという計画を話した。
その当時は娘さんがまだ小さくて、これからたくさんお金も必要になるのにそんな冒険はできないと反対された。
「そりゃあそうですよね。公務員で将来の安定が約束されてる男と結婚したのに。約束が違うってなりますよね」
そう言っておじさんは低い声ではっはっはと笑った。笑い方は思っていたよりもダンディだった。笑った時の目は少し寂しそうだった。
それからおじさんと奥さんは何度も話し合いをして、何度も喧嘩をして、それでも夢を諦められず、結局離婚をした。
不安定な生活になるおじさんに子どもを渡すわけがなく、奥さんと子どもが出て行くという形で結婚生活が終わった。
「離婚してからは娘さんと会ってないんですか?」
「会ってないっすね。良い別れ方じゃなかったから会わせてもらえないだろうし、俺も会わせてって言う勇気無いっす。今、高校生だと思うんですけどね」
おじさんの目が少し申し訳なさそうな目になった。
「一回だけ思ったことがあるんですよ。嫁さんと喧嘩してる最中。娘が生まれてなかったら違ったのかなって。口に出したわけじゃないんですけどね。でもその時娘の泣き声が聞こえて我に返ったんです。最低っすよね。イライラの矛先を娘に向けるなんて。父親として最低っすよ」
その時だけは少しの沈黙が流れた。リズミカルにインタビューを続けていた私が、何と言って良いかわからなくなった。
最低だけど、最低じゃない。最低なんだけど、最低と言えない。そんな沈黙だった。
「顔とか、覚えてます?」
おじさんの表情が少しでも明るくなる話題を私は探した。
「それが不思議なんすよ。だんだんと顔はぼやけてきてて。でもあの頃よくおんぶしてて、日増しに重くなっていく感覚と、背中から聞こえてきた笑い声はめちゃくちゃ覚えてるんです」
ようやく目元が柔らかくなった。それを思い出していたのかもしれない。
ポンと頭に浮かんだ「娘さんに会いたいですか?」という質問を私は口にしなかった。聞くべきではない気がした。だから残り少なくなったグラスの水と一緒に飲み込んでおいた。
それを察したかのようにおじさんは綺麗なカウンターをダスターで拭きながら、まぁ幸せでいてくれたらいいんすよ。と小さく独り言のように言っていた。
少し時間を置いて、優しい子になってくれてたら尚良いっすね。とも付け加えていた。
なんとなく私は聞こえないふりをした。
「また結婚したいとかあります?」
そう尋ねて、おじさんがそれに答えようとした時、ちょうどお客さんが入ってきた。
おじさんはすいませんと頭をヘコヘコさせて、お客さんにいらっしゃいませといつものように愛想の良い声をかけた。私もこちらこそなんかすいませんとヘコヘコした。相ヘコヘコ。
入ってきたお客さんが注文をする前に私はスーパーインタビュータイムを終わらせ、ご馳走様でしたとお金を払った。
おじさんはありがとうございましたといつものように言った。
そこに私もありがとうございましたと言っておいた。
するとおじさんは照れ臭そうにヘコヘコして、もう一度ありがとうございましたと言った。
だから私もヘコヘコしながら店を出た。
私の最後の質問に、おじさんはどう答えようとしたのだろう。
私が口にしなかった質問をしていたら、おじさんはどう答えただろう。
そういや、おじさん全然口数少なくなかったな。