親子愛と依存心
現代に生きる私たち多くの親が我が子に依存しながら生きています。
子離れできず我が子に精神的依存をし、中には老後の面倒を見てもらうためにと子を自分の側に置き離そうとしないという方々も珍しくはありません。
私たち親は往々にして我が子と自分と一体化し自分の所有物とし自分の手足と同様に考え我が子を自分の思い通りに動かそうとします。
進学先、就職先、付き合う友人や恋人にまで口出しをし、それが「あなたのため」という親のわが子に対する愛と信じて疑わないものです。
しかしそれが肉体だけ大人となった精神的未成熟な親のわが子に対する幼児的依存心であることに気づく方々はほとんどいないのではないでしょうか。
子は幼児期に親から無償の愛を受けわがままを受容され幼児的願望を満たされることにより自我を形成し情緒的成長を果たします。
おもちゃが欲しいとおもちゃ売り場で大の字に寝転がり泣き叫び、あれが欲しい、これが食べたいとわがままを言い、全てが叶わず叱られながらも親に諭され、時に与えられ、優しい笑顔に包まれ、許され、そうやって受け入れられることにより成長の道を歩みます。
しかしながら「自分」というものが常に中心にある親の元に育てられた子は常に親の願望に沿って生きなければならず、無力で親への依存なしでは生きられない子供は我が身を守るためにただひたすら親の顔色をうかがい親の望むことを察しながら動くようになります。
本来であればわがままを許され、受け入れられ、自分は何をしたいのかという自我を形成する大切な幼少期に、そのような子は自分不在となり、自分とは一体何者なのかという自己不在のまま幼少期を送るという無意識に憎しみを蓄積していくことになります。
現代に生きる私たち親の多くはエゴイストでありナルシシストでもあり自己中心的で自己陶酔に陥りがちであり、それにも関わらず「自分は我が子を愛している」「すべては我が子のため」と大きな勘違いをしながらもそれに気づくことなく子どもに関わっているように思います。
やがて思春期になれば中には反抗期という時期を迎え友達とつるみ悪さをしたり、親に口ごたえをして反抗をしたりということもあるでしょう。しかしそれは来たるべき第二次の自我の形成期でもあり我が子が「自分」というものを確立する大切な時期でもあり、本来は親としても「我が子が自分の考えを持つようになった」とそれは大変喜ぶべきことでもあります。
勿論、それには時に子の間違った考えなどもありそれに対して私たち親は我が子のその間違った考えに対して正さなければならないこともあると思います。しかしながら私たち親は我が子が親である自分の考えと違う主張した時、「親である自分が否定された」と考えてしまい我が子を叱りつけ、子の主張を頭ごなしに否定してしまうことがあります。
我が子が親の言うことを聞かなくなり自分の主張をするようになるということは成長過程における自我の形成という自然なことであり本来は喜ばしいことでありますが、親はそれを「自分が否定された」として受け入れられず子を責め立ててしまいます。
子は無条件に愛され受け入れられることで幼児的願望を満たされながら自我の形成と自我の確立という過程を経て、そして青年期にかけその幼児的願望を克服しながら徐々に自己責任というものを自覚し大人へと成長していきます。
にも関わらずそこで「親」という最大の障壁が立ちはだかります。
子に依存し、子にしがみつき離さず、自分と異なることを主張する我が子を許さず親である自分と子を一体化し手足のように動かそうとしてしまいます。そして親である自分自身が五歳児の大人という未成熟で肉体だけ大人になった幼児であることに気づくこともありません。
そのような親に育てられる子は悲劇であり、親に気に入られなければ自分という存在はないと考え、そこにいるのは自分より相手の気持ちのみを優先して考える「自己不在の子供」となります。
「親にとっての良い子」は親の犠牲の上にその存在が成り立ち「本当の自分はどうありたいのか」というものさえ無くなり自己犠牲を続けることになります。通常は誰しも自分の内側に本心の自分を持ちながら世渡り的に表面にもう一人の妥協した自分を持つものですが、それさえなくなり自己不在になる場合があると聞きます。
世の中を見ていますと結婚して家庭を持つ我が娘に毎日のように親が電話をして他愛もない長電話を繰り返したり、寂しいと我が子に依存ししがみつき自分の側に置こうとし、子自身で乗り越えなければならない困難や試練を親が排除したり、そのようにして子の成長を妨げてしまう親がなんと多いことでしょうか。
親が億単位の有り余る大金を手にしてもそれを世のためにと使うでもなく我が子のためにと必死にそれを守りその財産を残そうとしている方々が私の周りにも数名いらっしゃります。本当にそれが子にとっての幸せにつながるのでしょうか。
一部の例外を除き、一般的に親というものは誰しも我が子が可愛いものだと思います。同じ子を持つ親としてそれは私も同じです。
しかしながらいつしかそれが「自分可愛さ」になり親である自分と我が子を一体化させ親の思う通りにしたいという思いが強くなることにより、我が子の成長する機会を奪い、我が子の幸せをも奪うことになるのかもしれません。
子は親の背中を見て学び、親は子から教えられ学び共に成長するものだと言われますがまさにその通りだと日々思わされます。
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