もみじ饅頭を頬張って、ようやく出た言葉があった
週末はコンサートの本番で、山口県岩国市にいた。このことは語り始めると胸がいっぱいになってしまいそうな気がして、いつものたべもののはなしをわざと先に書いている。今回は、旅のはなしでもある(コンサートの感想やら想いやら、それはたくさんあるのでよければ後日お付き合いいただけたら嬉しいです。いつも読んでくれてありがとうございます)。
岩国市というところは広島とかなり近く、その中でも宮島に至れる場所には電車で30分ほどで行ける距離なのであった。そのためクタクタに疲れているはずだがせっかくだし、と岩国を後にし向かったのだった。実際は疲れを超えてハイになってたのかギンギンで、駅までの道中はなんとなくいろんな音楽を聴いた末に、最後の方はずっとほぼ人格形成に寄与していると言っても過言でないアニソンをブチ流しながら向かった。セーラームーン、らき☆すた、ハルヒ、エヴァ、アクエリオン、ありがとう。名曲たち。
宮島。
厳島神社の存在は昔から耳にするところではあったがほとんど未知の世界で、神秘的な場所っぽいという認識でしかなかったけれどまさか行く日が来るとは、という気持ちだった。なにが起こるかわかんないから人生やめらんないとつねづね思っているが、演奏会の道中で宮島行きを決めたのはかなりその中でも上位に来る。
同行のアートディレクターなっつん、なっつんのパートナーのマグナス氏、伴奏のドンまりえ。連れ立って乗り込んだJR山陽本線はちょうど4人がけのシートが向かい合わせになっていた。
ひんやりとした晴れの日という旅日和そのものの日で、ものすごく気分がいい。
発車から程なくして、周りの景色をみたなっつんが「あぁ広島っぽい」と言う。大きな違いは私はわからないけれど、先程まで目から溢れそうになるほどいっぱいの緑を見ていた後、そこまで大きくないけど住みやすそうでちょっぴり無機質な集落が続く様子は確かに違って見えた。
車窓というのは不思議だ。進行方向に向かって見ている景色は未来がやってくる感じで、逆側に座って見る景色は現在が過去になっていくのを見送る気分になる。
宮島口駅に降りて真っ先に感じたのは、苦いような潮の香りだった。そんな気配はあんまりしないのに、めちゃくちゃ海が近い。
渡れない道路の下を通るフェリー乗り場までの道を経て訪れた船着場は、近代的ながら周りの風景を乱すことなく、大きな神様みたいに静かにそこにあった。通路越しのブルーグレーの海は静謐で、密やかに波打つ。
程なくして着岸したフェリーは予想よりもずっと大きくて、中からずるん、と生まれてくるみたいにトラックが出てきた。そこに乗り込む私たち。
一番上まで行くと、あまりに広い海が視界いっぱいに飛び込んできてものすごく気分がよかった。潮風を浴びた美しいドンまりえと、はしゃぎながらカメラを構え合うなっつんマグのふたりの写真をたくさん撮った。大鳥居は工事中で厳重な足場が組まれていた。
宮島の風景はずっとグレーがかっていて、視界に入る景色がぜんぶ夢みたいだった。薄いグレーの曇り空、淡いトーンの海、咲き乱れる藤の花、誰もいない飲食店、その前をゆっくり歩く角を切られた鹿。
ノリで入ったお昼は美味しかったけどなんとなくまだお腹を空かせていて、ぱっと見美味しそうだった、鳥居クッキーが乗っているという嘘みたいなソフトクリームをみんなで食べた。クッキーがランダムでおかしかった。
しばらく歩くと再び視界の端に海が見えてくる。
ベージュの砂浜に静かに打ち寄せる波。寄ってくる鹿。やっぱり夢みたいな、静かな浜辺だった。
宮島行きを決めたときから心に決めていたことがある。それは、もみじ饅頭を買って帰ることだった。いつだって私はおいしい食べ物のことを考えているが、広島のほうまで足を伸ばすならいかにもなものを買いたいし、私の「広島のいかにもボキャブラリー」はもみじ饅頭しかなかったからだ。ならばその理想を追うぞと決めて昨夜は床に就いたのだ。
閑話休題。
我々は厳島神社に向かっていた。すでに帰りのフェリーの時間が近づいていたが絶対見たかった。なにを見るかはほとんどなにも知らない状態で行ったのだが、それがまたよかった。なっつんマグとはぐれて、ドンまりえとふたりきり、静かな境内に向かった。
あまりに整然とした赤と白。引き潮の時間だったので湿った地面があるのみだったが、これがもし朝や夕に訪れていたら水上に浮かぶ神社になっていたのだろうと思うとあまりの佇まいに震えた。
しかし広い。どこまでこの通路は続くのだと思いながら歩き、本堂と思しき場所に行き着いてまた来られることを急ぎ足なことをやや申し訳なく思いながら願い、帰路を探して歩きだすと御神楽のような音が聞こえてきた。
天国を知らないはずなのに、私はその瞬間天国みたいだと思った。意を決して音の鳴る方へ近づくと、能舞台があり舞が行われていた。やはり天国のようで、狐につままれた気持ちでその場を後にした。
ところで、フェリーまであと10分となりながらまだもみじ饅頭を買えていなかった。神社までの道にはポツポツとお店があったものの買いそびれてしまっていた。さて、と思っているとそこにぽつんとあったのだ、もみじ饅頭のお店が。
訪ねてみるとお店の方は皆あたたかく出迎えてくださった。6個入りをひとつ、と指差して言うと「こちらの簡単なお包みのやつは10円安いですよ」と笑顔で勧めてくれる。ありがたいSDGs。
お店の方にフェリーまであと10分しかないので、せっかくなのに申し訳ないですが袋詰めは大丈夫ですと伝えると、思っていたよりも驚かれた。「ここから船着場までは15分以上はかかります…」とのことで、それならば致し方なし次の便だ、と話していると、なんとお店の方が車を出してくださると言う。他にお客さんがいらっしゃらない時間だったとはいえ流石に申し訳なく遠慮するも、大丈夫乗って行って、と勧めてくださった。飛行機をとっている以上正直とてもありがたく、お言葉に甘えさせていただいた。お店の皆さんは初めてお会いしてからその場を後にするまでずっとあたたかかった。
駅までの道で教えてくれた。向こうの商店街は昔海だったこと。お能は年に一度の催しで昨日までは人が溢れるほどだったこと。100年近く続く老舗で、原材料の値段が変わりまくっているがどうにか昔ながらのお値段でもみじ饅頭を作ってくださっていること。
安全な近道を通って船着場まで。あっという間だったけれどきっと歩いたら20分はかかっただろう。濃密なお時間をいただき、無事にフェリーに乗ることができた。本当に感謝でいっぱい。
もちろん送迎はお店の方のご厚意で、偶然そうしていただけることになったものの当たり前のことでは決してない。しかしそれだけに、本当に本当にありがたかった。もみじ饅頭もとても美味しかったので、ささやかなお礼の気持ちを込めてお店の名前を載せさせていただきます。次に宮島を訪れることがあっても必ずお土産はこちらで買わせてください。
フェリーの上の空気は行きと比べて少しひんやりしていた。たわいない話をしていたが、私ははたとドンまりえとの別れが近づいていることに気づく。まりえは大分からやってきたピアニストなので、飛行機には乗らず広島から新幹線で帰るのだ。そして、そこからの日々では再会するのはいつになるかわからない。ドンまりえの優しさ、あらゆる譜面上の心遣いと演奏者の機微を読み取る能力、それらの素晴らしさに加え人としてもとても魅力的ですっかり仲良くなった。それが、しばらく会えなくなる。不思議な気持ちだった。
まりえ、しばらく会えなくなるけれど元気で必ずまた会おう。
そういうとまりえは笑って、本当ね、また会おうね、と言ってくれた。静かな海の上で友人と別れの言葉を交わしたのは初めてで、きっとまたすぐ会えるのになんだかとても切なかった。船着場に着いて、めいっぱいドンまりえとハグして、私は宮島を後にした。
帰りの飛行機はまいまいと合流して一緒に帰った。飛行機の中でするどうでも良い話というものが私はとても好きだ。非日常の中にある日常にホッとさせられるからだろうか。
たどり着いた東京は豪雨で、ずぶ濡れで帰宅した。着替えてひとしきり荷解きをした後、雨で隅っこがふやけたもみじ饅頭の箱から一つ取り出してあたたかいお茶を淹れていただいた。
ほわ、とやわらかい生地の中にしっかりとした餡子が入っていて、濃厚なのに優しい甘さは涙が出るほど美味しかった。
安心しきった私の口から出た言葉は、疲れた、だった。演奏会前後の三日間、ずっとずっと楽しくて忙しくておしゃべりしたくてはしゃいでいて、だけど体はしっかりアラサーだった。私の本心というよりも体の声みたいで、めちゃくちゃウケてしまった。そうだね。疲れたね。お疲れ様。本当に素敵な演奏会だった。味わわせてくれたメンバーと、なによりもこの体にありがとうね、という気持ちでもみじを一枚平らげ、早く寝た。
きっとこの旅をこれから何度も思い出すのだろう。昔からなんとなくお土産でいただいていて好きだったもみじ饅頭は、思い出の食べ物になった。
もみじ饅頭、大好き。