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気合いの歯車・無塩トマトジュース
日々の食事で健康管理になるべく努めてはいるが、なんやかんやで不規則になったり心身の不調で食欲がいまいち湧かなかったり、といったタイミングではどうも調子がやや狂いしがちである。スピード感を伴って手軽に空腹を満たせるものばかりをつい選んだり、食べれそうなものを選ぶと食物繊維少なくなったり(夏場そうめんばかりになる時期があるが、まさにそういう感じだ)。
そんな時に決まって私が頼り、かつ良いパフォーマンスを発揮してくれるのはいつだってそう、ドロドロ系のトマトジュースなのである。
寒くなると思い出す。トマトジュースが生活に組み込まれたきっかけは大学受験時の塾だ。
高校受験が終わった勢いで遊びに遊び惚けて、ハッと気づいた頃には高三の夏。そこから本格的に大学に行くための勉強を始めてしまったせいでとにかく時間がなかった。日々勉学に努めて忙しくし時間がない!というより、サボっていた分残り時間がなさすぎたと言う方が正しい。
それゆえ私は常々、風邪を引く恐怖に怯えていたのだ。風邪に限らず体調が悪いと途端に全てが無理になるタチなので、もし今体調を崩したら10日ほどは本調子になれず、それはすなわち己に対する敗北に直結するに他ならないことを意味するだろうと思っていた。
なので、なんかもう民間療法ともエセ科学の領域とも言い難い謎の自分ルールで自衛していた。適度な運動が良いと見たので両肩に大量のテキストを携えた状態で家から私鉄で5駅離れた塾まで歩き、なるべくマスクをし、寝る前はビタミンCを飲み、体を冷やさないよう毎日ジーパンを履き、裏起毛のトレーナーを着、そして1日1リットルのトマトジュースを飲んでいた。
1日、1リットルの、トマトジュースだ。
今でも信じられないが、とにかく飲んでいたのだ。塾の近くの薬局で一本141円で売っていたトマトジュースを、塾に行く前に買ってから向かう。店はその後2,3回リニューアルして世の物価も変わったのに、私は当時の棚の位置も値段も覚えている。それくらい買ってたし、飲んでた。塩分が怖いので無塩のやつだ。結構美味しくてそれが救いだった。
野菜の状態の(野菜の状態ってなんじゃい)トマトは元々大好きだったけど、トマトジュースは全く別のものとして楽しんでいた。イチゴとイチゴ味くらい私の中では違うコンテンツだった。かといって甘いジュースのような全力で「美味しい」を狙っているものというよりは、如何にも体にいいものだぞ〜という味な気がして、風邪をひきたくなさゆえにめちゃくちゃメンタルが追い込まれてた私にはすごく心地よかった。トマトジュース単体の効果ではなかったかもしれないけど実際風邪も引かなかったし、変な間食をしなかったからか太りすぎることもなくおなかにも優しかった。
なんか、あのとき全部が気合いだったな、と思う。「気合い」と言うと強い精神力ひとつで全てを乗り越えるような意味に思うが、実際気合いを発動する時ひとは強い精神力を以て大小さまざまありとあらゆる努力や変化をこなし続けている。手を動かし、己が良しとするもの全てを遂行し、目的に向かって、もう全部の要素がギッチギチに噛み合った歯車みたいになったその動力でのっしのっしと歩みを進めているのだ。その結果到達した成果のどんなにか喜ばしいことかと思う。トマトジュースも、そんな気合いの歯車のひとつだった。ちなみに大学には幸いギリギリ受かって、その時手元にあった飲みかけのトマトジュースにもお礼を述べた。
今も「オッ、不調がこの町にたどり着き、私を目指して歩いてきてるな」というときは必ずトマトジュースを買って飲む。塾近くのドラッグストアで141だったトマトジュースはいま近所のスーパーで173円になっているが、それだってありがたい。そうすると、まぁプラセボだとは思うが耳なし芳一の魔物のように不調が私を見失うような気がするのだ。もちろんトマトジュースそのものは栄養豊富なのだが、たぶん、あの時一緒に戦ってくれたしなァという気合いの記憶が私の免疫力を活性化させているような気もする。健やかにやっていくためにこれからも末長くトマトジュースとお付き合いしてゆきたい。
無塩トマトジュース、大好き。