今、この瞬間
死にたいながらに "生きたい" を繰り返していた
中学生の夏。
初めて入院して、たくさんの経験と感情と様々な人達と関わってきた中でそれでも辞められなかったリストカットとod。
だけど、変われた。私でも変われた。
odはやめられていないけれど、自分クズって未だに思ってしまうけれど、
"なんで自分は" と自分で自分はとせめて
"がんじがらめ"にしすぎてより一層苦しくなりながらそれでも今日、この瞬間まで生きてきた。
今、この瞬間、生きている私は本当にいて
今、この瞬間、頑張っている私も本当にいて
今、この瞬間、その"頑張り"をどうにか"上手"に
表したいと思いながらやっぱりどこか恥ずかしい
"そんな私" も "どこか" で、 "今ここで"
ノートを書き進めていて
今この瞬間は必ず、1秒ずつ進んでいて
大丈夫じゃないのに大丈夫。
そればっかの人生だけど
"大丈夫"の本当の意味とか説明されてもよくわかんないよね、って
ただ、誰かが
"私、今、大丈夫じゃない"
って言われたら、私は言いたい。
"よく頑張ったね"
そう自分が相手に伝えるように誰かにも私に言ってほしいけど
"私は私が"
"自分が自分に"
そう伝えるから、だからあなたには、
私の精一杯の "愛情" を。
まだ、花の蕾までしかそんなちっぽけな愛を
自分に "伝える" までしかできていないけどだけどそのちっぽけな花の蕾をあなたに、
"そのまま"
わたすから。
だから、あなたは自分のすきなことを話して欲しい。
"大丈夫"なんて言わなくていい。
遠慮なんていらない。
ただ、好きなことを。
"私が私に"
本音をぶつけるように。
そして、最後になったら、
涙止まるまで泣き終えたら、
言い終えたら、
そしたら、2人して笑いあおう。
手を繋いで笑いあおう。
いつか、誰かもわからない、私達2人だけの
" おやくそく!!"
きっとこの長々しすぎる文章は私が私に伝えたい、私が私にも伝えられる文章なのだ。
"だいすき" と "だいきらい"
がたくさん詰まりすぎた愛情の塊みたいなこの文章は私が私にも伝えられる、
もしかしたら私が私に伝えるためだけに書いた文章
"描いた文章"
なのかもしれない。