2020年4月29日(水)

家で勉強できない人はたくさんいると思う。私や私の弟も、スマホで動画を見たり、ゲームしたりして全然集中できていない。
そもそも、何のために勉強しなくてはいけないのか?
と考え始めたらきりがないかもしれないが、それを真剣に考えてみることも、私は必要だと常々考えている。

というのも、多くの人が勉強する理由は、外発的モチベーションに操られている、と想像できるからだ。
外発的モチベーションとは、勉強という観点で見ると、テストで良い点を取って褒められたいという気持ち(賞賛)や、テストの点数で誰かに負けたくないという競争意識(競争)などが当たる。

外発的モチベーションがあるということは、逆に内発的モチベーションというものも存在する。これは純粋な好奇心や、自分で何かやりたいことを決めて行うという、自己の中で生産されるものである。この二つのモチベーションについては、様々な研究がなされており、どちらのモチベーションもあらゆる活動(勉学も含む)を促進するものだとわかっている。

しかし、外発的モチベーションは、そのもの自体がなくなってしまうと、やる気を失ってしまう。加えて、決められたことまでしかやらなくなってしまう傾向がある。(例えば、テストで良い点をとることが目的で勉強する場合、テスト範囲以外は勉強しないし、テストが終わったら辞めてしまうだろう。)

大学生になって、モラトリアムを感じてしまう人が多い原因はここにあると私は考えている。外発的モチベーションによって勉強させられ、その流れでなんとなく大学に入学してしまうと、そこで一気にやる気を失ってしまうからだ。

これを防ぐには、普段から勉強を内発的モチベーションによって、自分から行うことが重要だと考えている。内発的モチベーションは基本的に、知的好奇心、有能感、そして自己決定によって生産される。
特に、自己決定の部分が大切だと個人的に考える。自己決定、つまり勉強の場合、自分は何のために勉強するのか、という疑問に対して、自分の明確な答えを持っておき、その答えに近づくための行動をすればいいのではないだろうか。

冒頭に戻るが、何のために勉強するのか、という疑問は非常に大切だと思う。それを親が親自身の答えを渡さずに、子どもに考えさせることが自発的な学習につながるのではないか、と将来親になった気分を妄想している。