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『リングの記憶 第三世代 天山広吉×小島聡×永田裕志×中西学』読みました。

『リングの記憶 第三世代 天山広吉×小島聡×永田裕志×中西学』


内容紹介
新日本プロレス、天山広吉、小島聡、永田裕志、中西学の4人のプロレス人生をインタビュー形式で振り返る。




第三世代――まずはこれの説明からしなくてはなるまい。
ちょうどいいことに、冒頭で説明があったので引用してみる。

 プロレス界におけ“第三世代”、それは新日本プロレスで1990年代初頭にデビューしたプロレスラーの総称である。彼らのデビュー時に団体のトップだった藤波辰爾、長州力らを第一世代、続く武藤敬司・蝶野正洋・橋本真也の闘魂三銃士第二世代当たる。
 一般的に第三世代とは90年デビュー小原道由。金本浩二、91年天山広吉、西村修。小島聡。そして92年の大谷晋二郎、高岩竜一、永田祐志、ケンドー・カシン(当時・石澤常光)、中西学を指す。その中でもとくに、長らく新日本マットのヘビー級戦線で戦い続けてきた天山、小島、永田、中西の4人を表す言葉として、現在は定着している。


正直、この第三世代で印象に残っているのは天山、小島ぐらいだ。

理由は簡単明快で、当時のいわゆるK-1、PRIDEなどの格闘技ブームに乗っかっていまって、プロレスを見なくなったからだ。

新日本プロレス自体もそのブームのせいで煽りを喰らい、ブシロードに身売りされるまでの頃を、いまでは暗黒時代だのなんだのと言われている。
その暗黒時代にトップレスラーであった世代、というと、不運な世代だった、と言わざるをえないか。

プロレスに見た強さ。それをより強さだけに寄っていけば総合格闘技に魅せられてしまったのは、安易な話でしかなかった、いま思うと。

でも確かに、当時は中途半端な新日はつまらなかったし、K-1とPRIDEは面白かったんだよ。

つまんなくって見るのやめたにも関わらず、総合格闘技で永田が負けた時や、K-1で中西が負けた時にガックリ落ち込んだのは記憶に残っている。
当時はなんとも説明出来ない感情だった。

新日の格闘技路線で一番の煽りを喰らったのは中西学だったと声をそろえて言っているのに、等の中西本人は「よっしゃやったる!」と思っていて、負けての「この経験をプロレスに生かしたる」っと思っていたとは、正直笑えてきた。
これぞ中西学か。

子供頃から好きでプロレスを見ていた。
それもはっきりプロレスというものを理解したのは、この第三世代の永田祐志と真壁刀義をたまたま見たときだった。

いまではスイーツ真壁としてテレビで活躍する選手だけれど、当時はバリバリのヒールで永田と対峙していた。
流血しながら攻め込まれ続けても、最後に永田が勝利を得たとき、「これこそがプロレスだよな」だと思った。

攻めだけじゃない、受け。
受けがあってこそ成立する。

試合には攻守が入れ替わる時が、きっとくる。
攻められれ続け、攻め返した時にたまったフラストレーションがいっきに解放される。応援しているファンならなおのことだろう。

相手の技は受けない。
ロープには振らない振られない。
そんな総合格闘技では絶対に楽しめない楽しさが、プロレスには存在するのだ。

プロレスを再び見始め、一番後悔しているのが、見なかった期間があったということだ。

それは、本当に後悔してる。

第三世代の試合も、そのほとんどが前の方だ。
時代はすでに次の、次の次の世代に変わってしまっている。
時代が移り変わるその瞬間を見逃しているたのだ。
その見逃した一部を、この本は見せてくれたのだ。







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