![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/30043223/rectangle_large_type_2_23e2239bd99eef187e028f3a08db8af5.jpeg?width=1200)
『スタンド・バイ・ミー』読みました。
『スタンド・バイ・ミー』
著者:スティーブン・キング
翻訳:永井淳
内容紹介
作家のゴーディーはもうすぐ13歳になる12歳の時の、ある夏の2日間のことを振り返る。
木の上に立てた小屋にいつものように集まる仲間がいた。
その日も、クリスとテディの三人でトランプ遊びを興じていた。
そこに息を切らせて飛び込んできたバーンが言った。
「おまえたち、死体を見に行きたくないか?」
バーンは、ブルーベリーを摘みに行ったまま、行方不明になっているレイ・ブラワーの死体を発見してしまい、どうしようかと友人と相談していた兄の会話を聞いてしまったのだった。(【スタンド・バイ・ミー】)
わたしは東35ストリート二四九Bの褐色砂岩の建物を訪れるようになって10年になる。
上司に誘われ、いやいやながらも参加したあるクラブ――その集まりをクラブと呼べるのであればだが。
そこでは読書、おしゃべり、ビリヤードとチェスなどが行われていた。
クリスマスを前にしたその日、老医師が語りはじめたのは、ある若き未婚で子供を産むとする女性についてだった。(【マンハッタンの奇譚クラブ】)
【スタンド・バイ・ミー】
この作品について、今更語ることもないだろう。
当然、映画は世界中でも観ていない人の方が少ないはずで、多くの人に突き刺さる作品である。
俺もはじめて観たのがちょうど登場人物と同じぐらいの年齢の頃で、途中から観たにもかかわらずのめり込んでしまった。
スタンド・バイ・ミーは、子供から大人になろうとする時期の始まりぐらいの青春ドラマ。
果たしてそうなのだろうか?
いや、そうなのだろう。
しかし、そう言われることに違和感を抱いてしまう。
『少年4人が死体を見に行く話』
こう言うと怖くないかい?
4人の少年にはそれぞれ家庭に問題を持っている。
ゴーディの両親は兄しか見ていない二人で、ゴーディをまるで透明人間のような扱いをしていた。
その兄が事故死してからは家庭内の時間が止ってしまったようになってしまっている。
バーンは兄にいじめられて怨んでいる。
クリスの父は飲んっだくれのボンクラで、入院させるほどの暴力をふるったこともあった。
テディは父親を崇拝するほどに愛していたが、戦争後遺症のため心を病んだ父に、耳をコンロで焼かれ補聴器をつけていた。
ある意味リアルだ。
友人の家庭が片親だったり、なんとなく問題のある親を抱えた友人だっだり、複雑な家庭環境すぎてそのことにくわしくつっこめない友人だったり、そんなこと、誰にだってあるだろう。
うまのあう4人。
しかし数年後、翌年には、進学コースと就職コースにわかれてしまう。
お互いに意識はしていなくても、終わりがつか付いている時期の話なのだ。
ゴーディは3人と同じように就職コースにすすもうと口にするも、クリスに止められてしまう。
クリスだって進学コースに進めれば進みたいのだ。
しかし家庭が、父親が問題であきらめている。
就職コースに進めば、工場にでも勤め、仕事終わりに行きつけのバーでいつものメンバーと飲むだけの日々しかない。
これは生まれ育った町の呪縛の話だ。
生まれ育った町で一生をすごす者。
生まれ育った町を出る者。
生まれ育った町から出たい、しかしそうできない者の物語だ。
田舎で生まれた人間なら、このどれかに当てはまるはずだ。
そういう側面を含んだ話だ。
今回、ネタバレはやめておきます。
ただ、スタンド・バイ・ミーの映画が好きな人は、小説の方は読まない方がいいです。
原作の方では、映画のその後が描かれていて、それが結構アレでして、えぇ。
【マンハッタンの奇譚クラブ】
ひとつ前に読破した『ゴールデン・ボーイ』の2編を含め、『恐怖の四季』と題された4作(『恐怖の四季』という副題は日本で出版するときに勝手につけられたもの、らしい。米国では分冊もされていない、らしい)の中で、ゆいいつ映画化されていない作品だ。
読みはじめてすぐ、なにを読まされているのかわからなかった。
キングお得意の余計な部分――というと語弊があるか。
ゆっくりとした滑り出し。本編までの助走。盛り付け。なんと言っても語弊を生みそうだな。。。
とにかく、
「wikiのあらすじ読んですますかな」
なんてことも思いましたよ、えぇ。
この話の肝心要は、老医師が語りはじめてからだ。
しかもそれがとんでもない落ちに着地するのだ。
「そりゃ映画化せんわ」
率直な感想だ。
映画化すればとんでもないシーンになるだろう。
ホラー映画じゃないはずなのに、ホラー映画になってしまいそうだ。
こういう話のやり方は卑怯だ。
なんの構えもしていないところに思いっきり喰らわされたようなもんだ。
でも、そういうやり方、好きよん。