哲学という概念

昔は哲学というものは学問の中でも一番役に立たないものだと思っていた。

貧しい時代に人々が今日明日を生きるのに精一杯の中で、「生きるとは何か」みたいなことを考えられるのは特権階級の暇つぶしのようなものと感じていたからだ。

一方で、心理学は好きだった。
そして心理学の本を読んでいる内に、そもそも心理学というのも哲学をベースにしたものだったということが分かった。
心理学は統計学なども絡めた、科学的に人間の心理を研究するものというイメージがある。
アンケートなどを取り群集心理の統計を集めるが、主役は「他人」である。

哲学は、そうした科学や統計学の概念が無かった時代の中で、しかし群衆の心理について感覚的・本質的に気付いていた人たちが残したものだと思うようになった。
ここでは「本人」が自身を被験者として徹底的に試行錯誤し、結論を出している。

今思えば哲学とは何かについて、義務教育で教えてくれることはあまり無かったように思う。
例えばルネ・デカルトの「我思う、ゆえに我あり」などは有名な言葉であるが、逆にいえば学校ではこれくらいのことしか教えてくれない。
そうすると哲学者というのはこの一言を残すために何十年も哲学というものをやっていたのか、という誤解を自分は今まで持ってしまっていたのだ。

そうではない。
哲学とはその言葉そのものではなく、それに至るプロセスが重要だったのだ。
そして義務教育においてはどうしても学科というのは独立しているが、学問というのは本来あらゆる他の学問や文化と相互作用を及ぼすものだ。

哲学は音楽や芸術にも影響を与え、数学(インドが発明した「ゼロ」の概念など)やもちろん宗教にも密接な関連を持つ。
民主主義や資本主義などの概念も哲学と経済学が結びついて生まれたものだ。

哲学についての誤解を改め、それまでの無知を恥じると共に、学問とは何かということを改めて考え直すきっかけとなった。

そしてやはり現行の義務教育のやり方では勉強は面白いと思えないし、社会に出て誰からも強要されなくなってからが本当に勉強が必要になるのだということを強く感じた。

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