我思う、ゆえに我あり
フランスの哲学者ルネ・デカルトは若い頃、既存の全ての学問を極めた上で、それらを否定し、全く一から自分自身の学問を身に着けようとした。
彼は一つでも信じられないものがあれば全体を疑うべしという考えを持っていた。
そして世の中の全てが偽りであり、自分自身の存在もまた「本当に存在するのか?」という疑念を以てしても、疑う自分自身の存在だけは否定することが出来ずそこに有り続けることを身をもって知った。
それが有名な言葉「我思う、ゆえに我あり(Cogito ergo sum)」に繋がった(本来の訳としては「思う」よりも「考え続ける」方がより正しいと言われる)。
古今東西の哲学者たちは既存の文化やシステムなど様々なものを疑った。
周りがそう言ってるからそうなのだ、ということを認めたくなかったのだ。
しかし中世の時代では、神を否定する発言は即座に裁判に掛けられ処刑されることから、彼らの活動も命がけだった。
当のデカルトでさえ「神は実在する」と言ったが、本心の胸の内は分からない。
自分も学生の頃は哲学というのはよく分からなかった。
果たして学問として必要なものなのだろうか?
裕福な人たちの暇つぶしなんじゃないのかと。
しかし、今ではその既存のシステムを疑い、本質を求めようとする彼らの心理に共鳴するところも大きいと感じている。
デカルトは我思う、ゆえに我ありと言ったから偉いのではなく、そこに至るプロセスを知ることが大事だったのだ。
なおデカルトは「困難は分割せよ」という言葉も残しているが、意味合い的にはこちらの方が分かりやすいかもしれない。