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リーダーシップと自分の器

農林水産省でくだものがかり(正確にはくだもの生産がかり)の仕事をしていたときのこと。

その部署では、いわゆるばらまき型と呼ばれる施策から自助努力に報いる施策へ転換するという、過去検討の域を超えることができなかった壁を乗り越えるためのとても大きな仕事に取りかかっていて、その仕事を引っ張るボス、課長と呼ばれたその人は誰もが認めるリーダーシップを持ちハードワーカーでかつキング☆オブ☆パワーハラスメントを絵に描いたような人でありました。

特別認可法人という頭書が当時ついていたその農業機械の研究所からは初。後で聞いたら「打たれ強そうだったから」という理由だけで白羽の矢が立ち出向した私は、案の定仕事が全くできず着々と居場所を失うとともに、ボスに呼び出されては何人かいた「お気に入り」の面々と同じように「死ね!」と罵られる毎日を送ることに。

2年間と言われた出向の残り日数は指折り数えても一向に減らず、何かを食べると胃が気持ち悪くなり、電車がプラットフォームに滑り込むたびに自分の身体がその車輪で粉々になる想像しかできなくなったころ、たまたま自分の得意技が使える仕事=居場所が見つかったのだけど、敬愛する同僚や上司が次々と身体を壊して仕事場に出てこられなくなるという、今思い返すとなかなかな地獄絵図だったのでした。

そうやって人を使い潰すような日々と、省内から国会議員の先生そして某「業界団体」に至る際限の無い調整を経て、その大きな仕事は完成。間もなく、ボスは軽やかに昇進していきました。文句なしの出世頭として。

いつか「一番上」まで行くだろう、と課内の面々はささやき合いましたがしかし。ほどなく心身の調子を崩して職場を休んでいる、という話が聞こえてきました。

「あの鬼みたいな人がなんでまた」という驚く声をよそに、数ヶ月後には外郭の組織に異動。そして、およそ十年ののち。大きな地震があったそのちょっとあとに、自らの手でご自身の人生に別れを告げたのでした。

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新しいボスは心優しく人当たりの良い紳士で、でも課内のメンバーが進むべき明確な「目的地」を持ってはいませんでした。

燃え尽きて半ば放心状態の中であの嵐のような日々を思い返しているうちに、前ボスのあの苛烈とも言える対応は、ただ単純に出世したい・偉くなりたいというだけではなくて、どんな困難があっても(あるいは何人踏みつけにしてでも)たどり着くべき目的地があるという強い意思だったり、使命感みたいなものがあってのことだったのではないかなということ。そして土砂降りのように絶え間なく降り続ける周囲からのプレッシャーに対して、自らの器から溢れたそのプレッシャーを周囲にそのまま投げつけることで乗り切ってきたけれども、でもそれは自らをも傷つけていたのだな、と思うに至ったのでした。

当時のいわば「マッチョ」とでも言うべきその価値観や行動は、何度考えてもやっぱり容認できるものではないのだけど、強い気持ちと器の大きさを両立することが必要と簡単には言えるその一方で、本当に大きな目標を達成するためには自分の器以上のプレッシャーに立ち向かわなくてはいけないことがあるのだな。と、なんの因果か自分で経営をするようになって仕事を引っ張る側の立場になった今、しみじみ実感しているところです。

そしてあの時に見つけることのできなかった「じゃあどうすればよかったんだろう」という答えの続きを探す毎日を送っているのでした。

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