不意に黒歴史を思い出し、エモーショナルな気分になった大雨の夜 2022年5月13日

今日の配達エリアは川崎区の多摩川沿いだった。川崎は横浜のようにアップダウンが激しかったり、うねうねした狭路がほとんど無いので走りやすい。荷量も最近では珍しく、あまり多くなかったので、久しぶりにまったりと余裕を持って配達できた。

配達が終わりの方に差し掛かった頃、見覚えのあるマンションに立ち寄った。最上階への配達だったのだが、すごく眺望が良くて、多摩川越しに見える羽田空港の姿に既視感があった。

そういえば6、7年くらい前、家具組み立て業者のバイトで、このマンションに来たことを思い出した。当時はまだ新築でマンション内には色んな業者がいて、廊下やエレベーターは養生されていたように思う。すっかり生活感溢れるマンションになった現状に時の流れを感じた。

当時の自分と言えば、昼間にバイトをしながら、夜は売れない放送作家をしていた頃で、麻布十番の安アパートに住みながら、所謂〝業界〟に憧れを抱いていた。

家具組み立て業者のバイトは、だいたい2〜4人くらいが1つのグループになって1日3〜5軒ほど回るのだが、自分はリーダーを任され、組み立て作業の他に図面を見ながら他のスタッフに指示したり、現場間移動の運転や接客、集金などをしていた。

バイト先では、ある程度チヤホヤされていた反面、放送作家としては底辺中の底辺で、企画会議で自分のアイディアが通ることはなく、たまに入る仕事といえば撮影現場の雑用や情報番組のリサーチに企画書の下書きなど、クリエイティブとは程遠いものだった。

飲み会のセッティングやケータリングのパシリなど、仕事とは言えない仕事もよく押し付けられ、断りたくても立場的にNOとは言えないほどには、放送作家と名乗るのが微妙な存在だった。当然、ギャラというギャラはほとんどもらっていない。

あくまでも副業のつもりで始めたバイトがいつしか、本業のようになり、気付けば〝立派なフリーター〟になっている。夢を叶えられない若者の典型みたいな20代を過ごしていた。

今思えば放送作家として全く評価されなかった分、チヤホヤしてくれるバイト先は居心地が良かったのだろう。「あの番組の構成に携わっている」とか「芸能人の誰々と会ったことがある」などと、自分を大げさに言っては自己顕示欲を満たしていた覚えがある。思い出すだけで、顔が真っ赤になるほど恥ずかしい。

そんな苦い黒歴史が詰まった過去には戻りたくないけど、少しだけ戻りたい気もする。当時は全く思い通りにならず、フラストレーションの溜まる日々を過ごしていたのだが、それなりに青春をしていたのかもしれない。

現在自分は30代後半となり、すっかり覇気のない日々を過ごしているが、数年後に今を振り返っても特に何も思わないだろう。そんなことを考えると、もう一度当時のように精力的に動き回ろうという欲が湧いてきた。

梅雨の始まりを感じさせられるくらいの大雨に見舞われながら、思いがけないタイミングでなんだかエモーショナルな気分になった。

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