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投げやりな「協調性」(尖り気味)

「協調性ないね」
集団内のキャッチーな人物やキャッチーな意見を批判するとよく言われる。

不思議だ。

思考を停止させ周囲に同意することが協調性なのだろうか。たしかに自分の意見を押し通すことが協調性でないことはわかっている。しかし、主張と傾聴の両方があって協調は成り立つはずだ。相手の意見と自分の意見それぞれを評価し、互いが納得できる命題を導くことが協調ではないのか。

己を殺してしまったら、そんなものただ動く有機物だ。

無理に自分の意見を持てとは思わない。けれど、語りえぬものについては沈黙しなければならない。感情の表現に踏みとどまるべきだ。

「強調性ないね」は不思議だ。

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