「自由」による支配
自由とは、他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていることをいう。
[Wikipediaより]
つまり、自由の本質は「自ら選択する」ことだろう。
私たちは「自ら選択する」ことをできているのだろうか。支配からは逃れられるのだろうか。
・環境による支配
赤いリンゴが売り切れていたら青リンゴを選ぶように、選択は自己と環境の相互作用で決まる。環境からの作用無くして選択肢は生まれない。
・欲望のよる支配
カントの主張する「自律としての自由」は自らに厳格なルールを課し、欲望からの支配を取り払うこと。
他にも選択に作用する要素はいくつもある。それらと共存するのか、支配するのか、支配されるのか、それは解釈次第だ。
自分とそれ以外の明確な境はどこにもない。
カントは欲望と自分とを切り離したのかもしれないが、私はその境を持たない。人それぞれが異なった境を持ち、それによって支配のあり方が変わる。つまり、自由も人それぞれということだ。
だから、無理に自由を共有しようとするべきではない。自由に支配されてはいけない。
自由を外に求めすぎては窮屈さは増していく。
ゆとりは内に見出そうと思う。
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