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きょうだいの性格が違うワケ




兄弟、姉妹、兄妹、姉弟

同じ血で繋がっていたとしても
性格が真逆なことってよくある。

たまたま最近見た小説
「家族シアター」辻村深月著


そして引き込まれるように見始めた映画
「おおかみこどもの雨と雪」


そして以前ポッドキャストで聴いた
武田邦彦 家族物語:家族と兄弟



がリンクした。


とっちらかった事象を結びつける能力は
一見変人に見られがちだけど、
ぼく自身、感動とワクワクが止まらない。


自分でもよくわからないけど、
そんな時の自分が結構好きな気がする。


この3つの共通点はきょうだいで
性格がまったくちがうこと。


そして、そこに意味があるということ。


人間がはじめて社会を認識するのが
家族・きょうだいである。

「愛するということ」(エーリッヒ・フロム著)
という本にこう書いてあった。

子どもは母親の大地のような無条件の愛、

父親の権威や行動の動機を与える愛を経て

社会に飛び込んでいく。



その狭間で、はじめて子どもはきょうだいという
小さな社会・組織のようなものをを経験する。


ぼくも3人きょうだい。


姉がいて、兄がいて、おべべ。


客観的に見ても
そこまで仲がいい兄弟とは思わない。


どーこーいうつもりはないが、
兄とは性格がけっこう違う。


今でこそ、すごいなって尊敬する部分も
たくさんあるが、子どもの頃は色々あった。


というより、全く絡まなかった。


あることをきっかけに
小学〜大学まではほとんど
コミュニケーションをとった記憶がない。


多分お互い感じてたのは、
「自分と性格が全くちがう。」


ということ。



大人になって、それこそ最近、
兄が参加するスポーツコミュニティに
何度か参加していた時のこと、

その仲間たちとお酒の席で
兄に言われたことがある。

「こいつが親の血のいいところ
       全部持っていたんよ!」


冗談のようにいう笑顔の中に、
これは本心だなと思った。


今でこそわかる。
そしてちょっと嫉妬していることがある。


兄がそんなに社交的でもなく、
まぁまぁ人見知りで、
目立とうとしているわけでもないのに
なんでそんなみんなに
愛されているんだろうと。

じいちゃんと同じように。
父ちゃんと同じように。

黙っていても人が集まってくる。
まわりが楽しくやっている。


無理に笑って、
いい顔して、
みんなに好かれようと、
無理した時期がぼくにはあった。


それに比べて、
自然体でいる兄をみて
はじめてきょうだいの意味を知った気がした。


幼少期から思春期にかけて
空白だったきょうだいの時間を
大人になって少しだけ
埋め合わせられたんじゃないかと思った。


きょうだいは元々仲が悪い。

これは人間工学的には自然なことであるという。

歴史を遡ると、
先祖が生き残るためには
同じ性質のきょうだいだと
環境に適応できないと
共倒れしてしまうからだという。

子孫を残すために、
そういうようにできている。


そして、きょうだいを
自分とは違うと認識して
初めて社会を知る。


同じ血で繋がっているのに、違う性格。

表裏一体、陰と陽。


だいたい親はきょうだいだから
仲良くしないといけないっていうけど


全く違うからアイデンティティが固まる。
自分という存在をゆっくり知っていける。


家族。



日本人は建前文化があるので

自分のことはあまり人に言わないし、

他人の家庭のことも聞こうとしないが、

自分自身、目を背けたらいけないよね。


家族シアター (講談社文庫) 



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