自律的意思決定を促すルールと組織文化 ~バナナはおやつに入るのか?~
この記事は「Funds Advent Calendar 2023」3日目の記事です!
こんにちは、ファンズ株式会社 CTO の若松 ( @yshnb )です。今年も年の瀬、いつのまにやらアドベントカレンダーの季節がやってきました。月日が経つのは早いものです。
CTO らしくファンズの技術的パースペクティブについてでも書けばよかったかなぁと思うものの、今回のテーマであるルールや組織文化というトピックについて書いてみたかったこともあり、これをバナナがおやつに入るのかどうか?というある種定番のネタをベースにして書いてみました。
少々長いですが、バナナがおやつに入るのかどうか気になる方も、バナナがおやつに入るかどうかはあまり興味のない方も、よければ読んでいただければと思います。
バナナはおやつに入るのか問題
とある学校で遠足が行われることになり、次のルールが案内がされたとしましょう。
このとき、こんなやりとりがされるシーンを考えてみます。
先生 🧑🏫 > 遠足へ持っていけるおやつは300円までです!
子供 👶 > 先生、質問です!バナナはおやつに入りますか!?
この疑問について、ルールに則して判断するという観点から、迷いが生じるポイントを見てみましょう。
「おやつ」の解釈は個々の価値観や経験に依存する
ここでの問題は「バナナ」が「おやつ」に該当するかどうかです。バナナは果物であり、食事としての栄養価を期待するものと捉えるのであれば、通常のおやつとは異なるかもしれません。しかし、バナナが嗜好品であると解釈するならば、おやつに該当する可能性もあります。
子供たちにとっては「おやつ」かどうかを判断する材料がないため、バナナを300円の範囲に含めて持っていく必要があるのかどうかを子供たち自身で判断できないことがポイントです。
この例では、「おやつ」の定義やルールが設けられている背景が曖昧なことで、子供たち自身での判断が困難になっています。
仮に子供がこのような質問をしなかった場合、それぞれの子がルールを解釈して判断する必要がありますが、その判断は個々の価値観や経験に依存してしまいます。
「おやつ」を持って行く理由はなにか?
そもそも、この学校でおやつを持っていくことを認める理由はなんなのでしょうか?この遠足では学校が昼食を用意する以上、エネルギーや栄養補給の面から設けているルールだとは考えづらいように思います。
考えられる狙いの1つは、子供たちに遠足の途中での楽しみを提供することです。遠足の途中で休憩する際、おやつを食べることは気分転換にもなりますし、おやつが楽しみの一つとなり得ます。
また、おやつを友達と共有することは、友達や同行者との絆を深める良い機会になります。おやつを共有することでコミュニケーションが促進され、より楽しい遠足になる可能性もあるでしょう。
いずれの理由だとしても、「おやつ」について、どのような種類の食品であるかに制限を設ける必要性はなさそうです。したがって、おやつの範囲として学校から配布する昼食以外の食品はおやつである、と考えることができそうに思います。
「おやつは300円まで」というルールの背景を探る
この学校では遠足の際、「おやつは300円まで」というルールが設定されていますが、そもそもなぜこのようなルールが設定されているのでしょうか?遠足で「おやつは300円まで」というようなルールが設けられる理由として、経済的な公平性の観点があると思われます。
遠足に参加する子供たちがさまざまな家庭環境に属している中で、経済的余裕のある家庭もあれば、経済的には余裕のない家庭もあることでしょう。
このような状況下で、300円という金額制限を設けることで、多くの家庭が同じ範囲内で子供におやつを用意できるようになります。これにより、経済的に恵まれた家庭の子供が高価なおやつを持ってくることによる他の子供たちへの影響を抑えることができます。また、経済的に余裕のない家庭の子供が劣等感を感じることも防げます。
今回のシナリオの場合、昼食は学校から用意されるため、それぞれの家庭が食事を用意する必要はありません。この点を踏まえ、先ほどの項では学校から配布する昼食以外の食品はおやつである、と考えることができそうだと説明していました。
300円という金額制限についても、経済的な公平性の観点から設けられたルールであることを考えれば、バナナもおやつに該当する食品として300円の範囲に含めることが適切そうです。
「バナナはおやつに入るのか」を判断するために必要なこと
ここまでの整理によって、バナナもおやつに該当すると判断できそうです。
最初の時点で背景や目的・判断基準などが分かっていれば、わざわざ先生に尋ねなくとも、子供たちは自主的におやつの判断をすることができた可能性があります。
実際の教育現場では、先生との対話の機会があることは悪いことではないと思います。子供たちにこれらのことを考えさせるのは要求が高すぎるかもしれませんが、上記のような前提が明らかであれば、子供たち自身が考えて答えを導き出すこともできそうです。
組織における〇〇は✕✕なのか問題
さて、先ほどの例では「おやつは300円まで」というルールのみが与えられた場合、バナナを持っていっていいのかについて、主観的な解釈の余地があることを説明しました。
子供の質問であればともかく、組織であればそんなくだらない議論をしないでしょ、と思われる方もいるかもしれません。
しかしバナナがおやつなのかはともかくとしても、会社のような組織のルールにおいて、主観的な価値判断の余地があるような場面は案外よくあることなのではないでしょうか?
ルールが明確でないことによる「〇〇は✕✕なのか問題」
ここまでの話ではバナナとおやつを例に挙げて述べてきましたが、バナナとおやつの部分をさまざまな形に置き換えても成立すると考えています。
〇〇が✕✕ならば一定の規則を守らないといけないが、ルールの背景や✕✕の判断基準が定まっていないことによって判断できない問題を「バナナはおやつに入るのか問題」に倣い、「〇〇は✕✕なのか問題」ということができます。
「〇〇は✕✕なのか問題」によって背景や判断基準が明確でない場合、自身の主観による判断のみで行動を選択することになります。解釈の結果として、意図しない形でルールを逸脱してしまう可能性があります。逆に本来は許容されているにもかかわらず、保守的な判断をしてしまう可能性もあるかもしれません。
組織に所属するメンバーが自律的に判断できるようにするためには、そのルールが設けられている背景や、その判断基準などを明らかにする必要があります。
よいルールは自律的な判断を促す
ルールの背景や判断基準が明確であれば、その範囲内で創意工夫をしながらトライをすることができます。
バナナとおやつの例に立ち戻ると、例えば300円までという金額制限が、定価や希望小売価格ではなく実売価格に対してなのであれば、同じおやつをできるだけ安く購入できるような店舗を探す子もいるかもしれません。300円という金額制限は経済的な公平性の観点で設けられていることを踏まえれば、このルールは趣旨にも則していると言えそうです。
ルールが明らかであれば、大人も子供もルールに則って創意工夫をしながら自律的に判断することができるのです。
自律的な意思決定を促すルールとは
自律的な意思決定ができるためには、適切なルールが必要であることを説明しました。では、自律的な判断ができるための適切なルールとは、どのようなルールなのでしょうか?
個人的には、次のような要素を満たすルールが自律的な意思決定を促せる望ましいルールだと考えています。
背景や目的が明らかになっている
個人の価値観や解釈によらず客観的に判断できる
普遍的に適用できる
以上の点について、順に説明していきます。
1. 背景や目的が明らかにされている
先ほどの例において「おやつは300円まで」という金額制限は、経済的な公平性を確保するために設けられているだろうという解釈を説明しました。このような目的が明確でないと、そのルールが存在する理由や、ルールを設けることで何を達成しようとしているのかを理解することができません。
結果として、背景や目的が明確ではないルールは、自律的な判断や思考を阻害してしまいます。
ルールの背景や目的が明らかにされていれば、それに基づいた原則通りの判断をするだけでなく、例外的な事象についても対応することができるようになります。その目的に則したうえで、ルールに従った対応が必要なのか、それとも例外的に対応してもよいのかを、自主的に判断することができるはずです。
2. 個人の価値観や解釈によらず客観的に判断できる
「バナナがおやつに含まれるか」という問いがルールの解釈に迷いを生じさせる理由は、主に「おやつ」の定義が不明確であることに起因していました。
不明瞭な定義により主観的な解釈の余地が生まれると、ルールの適用において混乱や不一致が生じやすくなります。「バナナはおやつに含まれるか」という問いは、それだけでは客観的な判断が難しい事例でした。
ここでおやつの定義が明確に定めれらていれば、主観的な解釈の余地が限定され、自律的な判断がしやすくなるはずです。
3. 普遍的に適用できる
限定的な事象にのみ適用できるルールを決めてしまうと、決めたルールの範囲外の事象が生じたときに、ルールに則して判断をすることができなくなってしまいます。
先の例では、食いしん坊な子が、学校から提供されるお弁当とは別におかずを持ち込むことは許されるのか?という疑問を持つこともあるかもしれまえん。このとき、バナナに限った説明ではなく「おやつ」の定義がされていることで、バナナ以外の食品の持ち込みに対する疑問に対しても答えることができます。
第三者視点からルールをレビューしてもらうことの重要性
実際のところ、解釈の余地がないルールを作るのは案外難しいものです。ルールを決める側からすると、主観的な解釈の余地などないと考えてルールを作るのが普通だと思います。
しかしながら解釈の余地がない完璧なルールだと思っていても、第三者の視点から見ると、暗黙のうちに前提としている仮定があったり、さまざまな解釈の余地が含まれていることはよくあります。
ルールを作る際に、第三者視点で自分が想像しない解釈の余地がないか、などをレビューしてもらうことなどは有効です。
ルールの限界と組織文化
ここまでの話の中で、自律的な意思決定にはよいルールの設定が重要であるという点を述べてきました。一方で、ルールに則した判断だけでは限界もあります。
決められているルールの方が不適切なこともある
先ほどの例において、「食物アレルギーがある子が、ほかの食事を持っていくことも許可されないのか?」という疑問を持つこともあるでしょう。ルール通りに解釈するならば、学校からの食事と300円以内の食品のみが許容され、300円を超える食品を持っていくことはできないことになります。
しかし、アレルギーがある子にとっては、学校から提供される昼食が取れないために食事として食品を持っていく必要があるはずで、300円に制限されているルールのほうが不適切です。
また宗教上の理由から、学校から提供される食事を食べることができないようなケースにおいても同様の考慮する必要がありそうです。
このようなケースにおいては、杓子定規にルールに則った判断をせず、柔軟な対応をできることが望ましいと言えるでしょう。またこうしたケースが出てきたときに、実態にあわせて柔軟にルールを見直せることが望ましいと思います。
なにもかもルールで決めることはできない
ルールを決めることには限界があり、すべての状況や行動をルールとして決めることはできません。
バナナの例の場合、バナナが300円までかどうかについては判断余地があることを説明しました。一方で同じフルーツであるドリアンを丸ごと遠足に持っていくのは、おやつに該当するからルールとして禁止はされていなくとも、その独特な匂いや皮が硬く素手では食べづらい点など、いくつかの観点から適切であるとは言い難いでしょう。(そもそもドリアンを300円以内で買うことはできないと思いますが。)
それでは、バナナはおやつにあたるが、ドリアンはおやつにはあたらないように分類するためのルールとして、おやつの条件に「ナイフなどを使わずとも食べることができる」「匂いがきつくない」などのルールを設ければよいのでしょうか?
匂いのある食べ物は多くあり、匂いのきつさは人によって感じ方も異なります。あれもこれもルールを決めておくとなると、大量のルールを覚えなければならないのは判断する人にとっても負担です。ルールが組織内に浸透し理解されていなければ、ルールは形骸化してしまい無意味なものとなります。
ルールで決めきれないことは組織文化でカバーする
このようにルールとして決めきれないものを判断するときの拠り所の1つは、個々人の常識とそれを形成する組織文化です。
会社組織やチームにおいてこのギャップを埋めるのは、ミッション・ビジョン・バリューのような形で示される組織の指針と、それを通じて形成される組織文化だと考えられます。
組織文化は、共有された価値観、信念、慣行を通じて形成され、正しいと思う行動や意思決定に影響を与えることができます。すなわち、具体的なルールが定められていなくとも、おおよそ正しい方向性で自律的に判断することを実現するものとなるはずです。
ファンズの組織には、組織の指針を示すものとして、ミッション・ビジョン・バリューがあります。
またファンズの開発組織においては、ファンズ全体としてのミッション・ビジョン・バリューとは別に、開発組織としてのバリューを定めています。このような行動指針を設けることで、開発組織のようなスコープにおいても望ましい行動の方向性を共有できるようにしています。
ルールと組織文化の相互作用
自律的な意思決定のできる組織運営には、明確なルールと組織文化の両方が必要だと考えています。
ルールが具体的な指針を提供する一方で、ミッション・ビジョン・バリュー のような組織の指針はより広い視野で行動すべき方向性を示します。このバランスが、組織としての一貫性と柔軟性を保つ鍵だと考えています。
組織指針はメンバーの行動や意思決定に影響を与える広い視野を提供します。例えば、イノベーションを重視する文化を持つ企業では、メンバーがは伝統的な方法にこだわらず新しいアイデアを試すことなどが奨励されます。
一方で慣例的に根付いていることについては、組織文化に矛盾しない具体的なルールが定められていることで、その具体的な問題をシャープに判断することができ、スムーズな意思決定を実現することができるようになるはずです。
組織文化で自律的チームを作るには
ファンズの開発組織は "自律的意思決定のできるチーム"
ファンズの開発組織は、先に紹介した開発組織のバリューとして「自律的チームであれ」というバリューを設けており、実感としても「自律的なチーム」であると感じています。
実際、ファンズの開発組織では私自身が担当としてリードするプロジェクトを除き、ほとんどはメンバーが主体的に進行をしてくれています。私自身もメンバーがおおよその場面で正しい判断をしてくれるだろうという信頼を置いています。
ルールが十分だから自律的なチームになっているわけではない
ただファンズの開発組織を顧みたときに、判断するための十分なルールが整えられているから…かというと、必ずしもそうではないと考えています。
開発組織では「持続可能なやり方を採用する」という方針があり、ドキュメンテーションすることを推奨しており、ルールなども明文化していくことを望ましいとしています。実際チームとしてのルールやガイドラインなども、できるだけ明文化して暗黙知を排除するようにしています。
ただし現在のところ、ルールだけでは判断できず、ハイコンテキストなコミュニケーションをしてしまう場面があるのも事実です。新しく入られた方がキャッチアップするまでには、新しく入って来られた方を少し戸惑わせてしまう場面もあることは課題感として感じています。
組織文化にそった自律的判断は考え方のすり合わせが鍵
そうした明確なルールが定まっていない中でも、自律的チームとして機能している理由はなんでしょうか?
ルールが決まっていないことについてはまず各々の考え方で判断しつつも、積極的に相互の相談やレビューなどの機会を設けることで、考え方の理解のすり合わせができていることがその要因なのではないかと考えています。
また組織の指針を判断の拠り所とすることにより、最初は組織文化と異なる判断軸を持っていたとしても、徐々に判断基準が組織の方向性と一致したものになり、ある程度の確信をもって判断できるようになるものと考えています。
今後としては、そうしたコンテキスト依存な解釈を明文化することにより、組織が拡大したとしても、より自律的に判断できるような組織にできるのがよいと考えています。
さいごに
自律的チームに興味のある方へ: カジュアルにお話しましょう
ここまで色々と書いてきましたが、もしファンズに関心を持っていただけた方がいらっしゃれば、一度お話させていただけると嬉しく思います。
当社における 2023 年現在のカジュアル面談は以下のような形で実施しています。以下記事のように分担しているのですが、もし面談を希望するメンバーがいれば、面談前にリクエストいただくことでご希望にあわせて調整することも可能ですので、ぜひリクエストをいただけると幸いです。
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