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酒の飲み方は多様になるのか?:町田康「しらふで生きる」【本の日記#5】

新年ムードもようやく落ち着き、忘新年会も幾分少なくなってきたことかと思います。

このお正月はたくさんお酒を飲んだという方も多いはずです。というよりも、そもそもお酒が好きで毎日のように呑んでいる…なんて人もそこそこいらっしゃるのではないでしょうか。

私自身もお酒が好きで、スーパーなどで買っては適当なお刺身を相手にお酒を嗜んでいます。自分の肝臓を痛めつけているという自覚を持ちながら飲むお酒と刺身の美味しさは、一度感じてしまうと忘れることはありません。

一方で、理解はしていますが過度なお酒は体に悪影響でもあります。人付き合いなどお酒が円滑な人間関係を運んでくれるという側面はありますが、それ以上のアルコールはあまりよろしくない。

そこで、今回は医学的な分析ではなく、お酒を通して自分自身を見つめることを主眼に置いた著作をご紹介したいと思います。



本の紹介

今回、取り上げるのは町田康著『しらふで生きる』(幻冬舎文庫)です。
著者のご紹介は、幻冬舎plusのホームページから一部引用します。

1962年大阪府生まれ。町田町蔵の名で歌手活動を始め、1981年パンクバンド「INU」の『メシ喰うな』でレコードデビュー。俳優としても活躍する。1996年、初の小説「くっすん大黒」を発表、同作は翌1997年Bunkamuraドゥマゴ文学賞・野間文芸新人賞を受賞した。以降、2000年「きれぎれ」で芥川賞、2001年詩集『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、2002年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、2005年『告白』で谷崎潤一郎賞、2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。

幻冬舎plus著者ページから、https://www.gentosha.jp/author/435/

作家である町田康は30年間飲み続けてきたお酒を突然やめることを決意します。それまではお酒を飲むことを主眼に、むしろお酒を前提として仕事を組み立ててきたとも言わんばかりの状況だったことが伺えます。

まあ、それはそうとしてとにかく、昼間は飲まない、そして、仕事が終わるまでは飲まないという方針を打ち立てた私は、仕事はなるべく午前中に済ませる。午後四時以降は仕事をしない。などの運用上の工夫をしながら三十年間、一日も休まず酒を飲み続け(以下略)

町田康『しらふで生きる』,p.14。

この状況の中で、町田は突然酒をやめることを宣言します。自身でも「突飛な考え」として、「理性を疑う」とまで言っています。確かに、30年間も酒を入れてきた人間が突然酒をやめるなんて正気の沙汰ではないはずです。

詳細は本を読んでいただければと思いますが、お酒と人生の関係を自ら明らかにして、「認識改造」を通してお酒の捉え方を変えることを町田は選択しました。


お正月にアルコールを(少しだけ)やめてみた

この本に影響を受けたのか、はたまたお酒に飽きたのか全くわかりませんが、お正月にお酒を飲むことをやめてみました。個人的にはお正月の断酒は「突飛な考え」ではあるけれど、理性を疑うまでではなかったかな、と思います。こんなことを書く理性は疑いますが。

年末年始のカレンダーと禁酒履歴

今回のお正月は、一般的に正月休みとされた昨年12月28日から今年1月5日までの期間を対象としました。

早速禁酒に失敗する

そしてカレンダーを見ていただくと分かるように、開始2日目にて早速禁酒失敗ということになっています。大変申し訳ありませんでした。

とはいえ、この日は友人との飲み会ということもあり、さすがに飲まない訳にはいかないだろうということになり、クラフトビールを2杯ほど嗜んでしまいました。嗜んでるということは味わってしかもそれを良いものと捉えてる訳で、禁酒宣言を軽く見ていたということにもなりますね。人として終わっています。

ただし、その後30日からお正月休みの終わる1月5日までは禁酒に成功しました。ちなみに、この記事を公開した1月15日現在にいたるまで、禁酒は成功しています。

実家での禁酒生活

この間、ほぼ実家にいた訳ですが、両親と酒を飲むことはなく、代わりに三ツ矢サイダーを片手に雑煮を食べたりしていました。

子どもの頃は別に何とも思っていなかった食べ合わせも、さすがに大人になると雑煮×三ツ矢サイダーはちょっとないな…と思いつつ、久しぶりに食べて飲んでしてみたら案外問題ないことに気づきました。

ところが、気づいたら最後今度は止まらなくなってしまうんですよね。1.5Lの三ツ矢サイダーを独占禁止法違反がごとく一人で抱え、1日で空にしてしまうほど。これでは糖分の過剰摂取で、ここにお正月料理特有のお餅でノックアウト状態。

結局、お酒を飲まないことには成功したものの、お酒を飲んだ時と同じくらい体重を増やしてしまうことになってしまいました。

それでも、お酒を飲まないという目的は達成されたので、自分としては一旦良しとすることにしました。

お酒をやめてみて気づいたことは、「別にお酒を飲まなくても問題ないじゃん」ということでした。

家族の中でのお酒の役割

私の家族(両親、兄弟3人の合計5人)において、お酒は父親がしこたま飲むものという共通認識があります。

それ故、今回の断酒で気づいたこととしては「俺が飲まなくても別に構わないんだな」ということでした。父親も時折酒を薦めてきましたが、「今回のお正月は飲まないでやっていくんだ」と主張したところ、それほど強くは薦めてくれなくなりました。

ただ、別に家族の会話が途切れることもありませんでしたし、それほど問題があったとも思いませんでした。もちろん、父親は飲む相手がいないことを若干寂しそうにしていましたし、それを見る私の心にも多少の罪悪感というものがありましたが。

今回の断酒で、家族の中でお酒が持つ役割というのは、もはや何もないのではないかとすら思ってしまいました。

父親自身にとってみればお酒は子どもとのコミュニケーションツールと思っている節があるようですし、兄弟もそう認識しています。コミュニケーションツールということは、父親だけではなく、相手となる我々兄弟もお酒を飲むことで初めて成立する、私自身はそう認識していました。

ところが、今回私自身が断酒をしたところでコミュニケーションは問題なく行われましたし、そういえば小中高と実家にいた時には何の問題もなくコミュニケーションできていた訳で、半ば私が子どもがえりしたのかもしれません。

とにかく、断酒は家族の中においては支障をきたさないものだったと認識できたことは大きな収穫です。


ソバーキュリアス時代か?

こうしてお酒を飲まない生活を継続している訳ですが、こうした「あえてお酒を飲まない」ライフスタイルは「ソバーキュリアス」とよばれています。

「sober」+「curious」、「しらふ」+「好奇心」の言葉の組み合わせとされ、若い世代を中心に流行しているとのこと。

ある種、多様性の時代に新たなお酒との付き合い方という意味でも、一部に受け入れられているようです。

アサヒビールは2020年、「スマドリ(スマートドリンキング)」という概念を通じ、多様なお酒の飲み方を提唱しました。

最近では、いわゆる「ストロング系」とされるアルコール飲料に対し、健康志向の高まりやこうした多様な飲み方を前提とする中で市場規模の縮小が続いているとされ、撤退するメーカーも相次いでいます。

多様なお酒との付き合い方の時代、またZ世代とよばれる若者の価値観の変化に伴い、これまでより「お酒を飲まない」という選択肢が社会的に受け入れられやすくなりつつあると考えられます。


酒の飲み方は多様になるのか?

町田の著作の最後の章は「酒を飲んでも飲まなくても人生は寂しい」でした。

人生が寂しいか寂しくないか、ここのところは少し違う考えを持ちましたが、お酒を飲む・飲まないの違いが、社会にとって大きな意味を持つ時代は終わりつつあるのだと思います。

新型コロナウイルスが流行した2020年、多くの飲食店で営業が自粛され、酒が悪者のごとく取り扱われました。

その後、GoToEatキャンペーンほか、飲食店を応援するキャンペーンが展開される中で、「アフターコロナ」と交錯することで酒への価値観が変わるという事態になりました。

酒にも及ぶ「ダイバーシティ」とどう向き合うか、時代が変われど価値観変えずが許されない世の中で、町田の著作は非常に有意義なものだと感じています。

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