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[神社] 本地仏,明治維新,幸福追求権,多様性の尊重。歴史のなかには今を考えるヒントが詰まっている。
本地仏を求めて
このあいだ,秋も更けてきたのにまだ暖かかったときのこと。山奥の神社に本地仏があると聞く。単に見てみたいという思いだけで出かけていく。
山奥で誰とも出会わない。道が狭いので車を置いて歩いて神社に行く。集落にひとはいないし,神社にもひとはいない。物音もしない。わたしを見た犬が狂ったように吠え続けている。普段みないひとをみて怖がっているのだろう。犬の吠える声がこだまとなって反響している。
集落をうろうろしていると,近隣にはお寺があったり,お堂があったりする。お堂には薬師如来と地蔵菩薩があって,きれいに祀られている。石碑には何々権現という名前も見られる。神仏は互いに融合していて,ひとびととともに生きていたのだろう。
明治維新と神仏分離
そのうち,向こうから歩いてくるひとに出会う。こんにちはとはなしをしてみる。集落の祭のはなしになる。このあたりの地域ではお寺と神社で共同で一年に一度祭をするとのこと。あれ,仏様と神様は仲良くしているのかな。明治期の神仏分離令もこっそりやりすごしていたのかな。そこで,本地仏を見ることができますかと尋ねてみる。
すると,けげんな顔をしておじいさんはこう言う。神社は神様を祀るところで,お寺は仏様を祀るところ,神社には仏像はないよと。
ああ,やはり仏様と神様はきちりとわけられていて,ここにも,もう明治以前の世界は残っていないんだなとおじいさんの言葉を聞いておもう。なんだか,ひととはなしをして,余計にひとりになった気になってくる。
おじいさんはそう神様と仏様をそうとらえており,わたしは神様と仏様を別のようにとらえている。意見がちがったとしても,別になにも困らない。あなたはあなた,わたしはわたし。
幸福追求権と多様な社会
山奥を歩きながら,ひとり考える。明治のころ,神仏分離令が出て,神様と仏様は別物なんだ,神社に本地仏なんて置いているのは間違っている,捨ててしまえと,実際に言われたひとたちはどうそれに対応したのだろう。意見がちがうだけだったら,捨てておけばいいが,実際に仏像を燃やしてしまえと言われるとはなしはちがってくる。なんとかして,仏様がこわされないように,捨てたといって仏像を隠した集落もあったでしょう。逆に,はい,わかりましたとどんどん捨てた集落もあったでしょう。
どちらが正しいのか。判断は難しい。ただ,捨ててしまうと,当たり前のことだが,もうみることができなくなる。そんなものがあったという記憶もなくなってしまう。街中で更地になった土地をみて,あれ,ここ何が建っていたっけとよく思うが,ものがなくなるとそのものの記憶も一気にうしなわれてしまう。
意見が対立したときに,一方を完全に消し去ってしまうというのはとてもおそろしいことだ。
わたしたちの組織でもそうだし,人間関係のなかでもそうかもしれない。意見が対立するたびに,そのひとと関係を切っていたら,個人のレベルでも,ふつうの生活が送れなくなってしまう。大きな視点でいえば,反対意見を認めないあり方は,アメリカのような右と左とに分断した社会を生み出してしまうかもしれない。
本当にいろんなひとがいる。みんながひとつの正しいことを信じている社会が良い社会ではなくて,お互いの意見が尊重される社会がよい社会だろう。それで,また思う。
いろんなひとが自分の意見をもち,自分の幸福を追求しようと行動する。しかし,それは無制限に行われていいのか。一方で国は公共の福祉の充実を目標とする。それが正しいとされる根拠はどこに求められるのだろう。とてもおもしろい。世の中はおもしろいことで満ちている。
仏像を見たくて山奥に来たら,今の世の中のことを考えるのも,とてもおもしろいことに気づいた。
興味を持たれた方へ
明治神の神仏分離の前後のはなしが詳細に書かれています。
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義江 彰夫 (著)「神仏習合」 (岩波新書 新赤版 453)[Amazon]
圭室諦成 (著)「廃仏毀釈とその前史 ―― 檀家制度・民間信仰・排仏論」(書肆心水)[Amazon]
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