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あのころの旅はもうできないのかもしれない。

自転車日本一周を写真で振り返るInstagramも34日目まで突入しました。

公約通り、1日2~4投稿しています。多いときだとどれだけ選別しても、投稿したい写真が50枚以上あるので、5投稿にわたって振り返る日もあります。

写真を見ながら当時の旅を懐かしく思い、目頭が熱くなります。「なんかやってたなぁ」って。

それと同時に、心のどこかで「もう、このころみたいな旅はできないんだろうな」と考えてしまう自分がいました。


ガラクタ写真

トンネル走行中にめちゃくちゃ邪魔だったパイプの写真を撮ったり、


能登半島の逆風に漕ぎつかれて、1時間くらい路上で休憩している様子を撮ったり、


地元のスーパーで半額のお刺身とそばと、食物繊維を摂るためにごぼうサラダを購入したり。しかも写真はブレブレ(笑)


ぶっちゃけ、全国の名所の綺麗な写真なんて誰でも撮れますよね。わたしが撮る必要ないと思っています。写真下手ですし。

それよりも、先ほど載せた3枚のような「エピソードを語れる写真」のほうが何倍も、何十倍も価値があると思っています。

その価値を決めるのは、自分自身です。知らない人から見てもそれはガラクタでしかないでしょう。

しかし、ガラクタにこそ価値があるんです。


慣れすぎてガラクタ写真を撮れなくなった

しかし、最近のわたしは。いや、日本一周中盤戦に入ってからのわたしは、このガラクタ写真を撮れなくなってしまいました。

実は、旅を辞めた理由のひとつでもあります。

自然と「情報発信用」の写真ばかりを撮るようになってしまい、「自分のための写真」を撮れなくなっていました。


道路の写真も撮っていますが、これはブログ用に撮っただけ。エピソードなんてないんです。

これもブログのアイキャッチ用に夕方撮っただけ。つまらない。


何か自然に、「良い写真」を撮りに行ってしまうんです。本当の自分はそんなもの、求めていないはずなのに。


これは自分自身の感覚なので言葉で伝えにくいのですが、旅を始めた初期、日本一周前半戦はとにかく気になる写真を撮っていました。ブログなどで発信する用と自分用の写真を無意識のうちに分けていたんです。

それが今は、「発信用の写真」しか撮れなくなりました。

意識して「自分用の写真」を撮ろうとしても、それは結局、発信用の写真と一緒です。

意識してはダメ。だけれど、無意識では発信用の写真しか撮れない。


何やら、青春が終わったようで寂しくなりました。


今から旅したばかりの心境に戻る、というのは不可能です。日本一周は完走していませんが、ある程度の期間旅を経験しました。

旅を始めたばかりの、野宿場所が決まらないドキドキ感も薄れています。

「慣れる」というのはもちろん良いことだと思いますが、同時に寂しいことなんだなと。


旅自体は186日間分。この先、もっと写真の枚数が多い日が増えてくるので、全部で500投稿分のネタはあると思います。

単純に計算して、全て投稿し終えるまで1年ほど。

1年後のわたしが何をしているか知りませんが、投稿は続けていることでしょう。

旅を振り返りながら、少しずつでもあのころの心境を思い出して、ワクワク感を取り戻したいです……。

本当に寂しい気持ちでいっぱい。ワクワクしたいなぁ。


・・・


ブログに一カ月間スポンサーが付きました。

発信することが悪者みたいな記事になってしまいましたが、決してそうではありません。

こうやってうちのような個人ブログにもお金を出して広告を掲載してくださる以上、わたしも発信を続けてリターンを返さなければならないです。

趣味と仕事の境界線に悩んでいるんでしょうね…。初めはブログも趣味程度でと思っていましたが、徐々にそうも言っていられなくなりました。

だからこそ、息抜きも大切。

もっと、「自分を生きる」ことに力を使いたいです。


また、明日もお会いしましょう🌞

末次ゆう(@ysgenfu

いつもありがとうございます。 また読みにきてくださいね(^^)