世界最強の英語辞典を生んだ「博士と狂人」
▼英語にはさまざまな辞書がありますが,中でもひときわ抜きんでて有名な辞書があります。"Oxford English Dictionary",略称 "OED" がその辞書です。これは1857年にイギリスの言語学協会が編纂を始めた辞書で,13世紀以降に文献に登場したあらゆる英単語を収録し,それぞれについて歴史的な変遷を示そうという途方もないプロジェクトでした。
▼編纂者たちは当初「第1巻は2年以内に出版できるだろう」と思っていましたが,結局,分冊版の発売開始は1884年と,構想が発表されてから27年後のことになりました。2015年時点の最新刊は第2版,約60万語を収録し,書籍20巻+補遺3巻という大著で,本で購入した場合,中古でも15万円以上します。
▼ちなみに,CD-ROM版もありますが,こちらも現在,かなり高騰しているようです。
▼現在の最新版はOEDのホームページで有料会員登録してオンラインで使用するものになっています。 https://www.oed.com/
▼さて,そんな途方もない辞書の編纂に携わった人物たちを主人公にした小説があります。それがこの,サイモン・ウィンチェスター著『博士と狂人』です(原題:The Professor and The Madman)。
▼この本には二人の主人公が登場します。一人はOEDの編集主幹であるジェームズ・マレー博士。もう一人はOED編集に協力したアメリカ人のウィリアム・チェスター・マイナー医師。
▼辞書を編むにあたり,事務局は単語が書物でどのように用いられているかをカード化して整理する必要がありました。そして,その用例カードを投稿してもらうように人々に広く募集したのです。その募集のチラシを見てカードを投稿した一人がマイナーでした。彼は非常に的確な用例カードを作成し,膨大な数のカードを事務局に送ります。おそらく,投稿者としてOEDに最大の貢献をした人物の一人でしょう。
▼マレーは,マイナーの的確な指摘や実直な仕事ぶりに対して感嘆し,どのような人物なのか興味を持ち,会いたいと思うようになりました。
マレー博士の書いているところによれば、マイナーと初めて連絡をとったのは、辞典の仕事を始めてまもない一八八〇年か一八八一年のことだったらしい。
「彼は非常に優秀な閲読者で、しばしば私に手紙を送ってきました」。
そして、すでに述べたとおり、マイナーは引退した医師で時間がたくさんあるにちがいないとしか、マレーは考えていなかった。
(サイモン・ウィンチェスター・鈴木主税訳『博士と狂人』)
▼マレーは友人への手紙の中で次のように述べています。
たまたま、彼の住所がバークシャー、クローソン、ブロードムアであることに注意をひかれました。それは大きな精神病院の住所だったので、私は彼が(おそらく)その病院の医師なのだろうと思ったのです。
しかし私たちの文通は、もちろん辞典とそのデータにかんする内容にかぎられており、私が彼にたいして抱いていた感情は、はかりしれぬ協力への感謝だけでした。また、彼が高価な昔の稀覯本を利用できるらしいことに、いくぶん驚いてもいました。
このまま数年が過ぎたのですが、一八八七年から一八九〇年のあいだのある日、ハーヴァード大学の図書館長だった故ジャスティン・ウィンザー氏が私の写字室を訪れ、すわって雑談していたときに、「あなたが序文で不幸なマイナー博士についてあのように言及されたことで、アメリカ人は非常に喜んでいます。これはたいへん痛ましいケースですから」と、とくに述べたのです。
「それは」と、私は驚いて聞き返しました。「どういうふうに?」ウィンザー氏のほうも同じくらい驚いていました。この何年ものあいだ手紙をやりとりしてきながら、私はマイナー博士について何も知らなかったし、何ひとつ疑ったこともなかったのですから。
それから、ウィンザー氏はマイナー博士の恐ろしい話を聞かせてくれました。
(サイモン・ウィンチェスター・鈴木主税訳『博士と狂人』)
▼1880年から1881年頃,マイナーは用例カードの募集を知って着手しました。それを知ったのは彼がいたプロードムア刑事犯精神病院の中でした。しかし,彼はマレーが想像したようにその精神病院の医師だったわけではなく,刑事事件の犯人として独房に収容されていたのです。では,なぜ彼はそこに収容されることになったのでしょうか。
▼マイナーは1834年に裕福な家庭の子どもとして生まれました。名門・イェール大学医学部を卒業し,南北戦争に北軍の軍医として従事したエリートでしたが,徐々に精神を病んで除隊し,療養を兼ねて1871年にアメリカからヨーロッパに渡りました。
▼ロンドン市内のランベス地区に部屋を借りて暮らしていましたが,1872年2月17日の深夜に,通りすがりの男性を拳銃で射殺します。マイナーと男性には面識はなく,「アイルランド人に襲われる」という一方的に抱いていた妄想がエスカレートした結果の犯行と考えられています。南北戦争中,逃亡したアイルランド人兵士に罰を与えるため,マイナーは上官に命じられて逃亡兵の顔にDの焼き印を押しました。それがきっかけで彼は「アイルランド人に狙われている」という妄想を抱いたのではないか,と推測されていますが,真偽のほどはわかりません。ただ,戦争の経験が彼の心に大きな傷を負わせたであろうことは想像に難くありません。
▼マイナーはその場で逮捕され,裁判の結果,ブロードムア刑事犯精神病院に無期限で収容されることになりました。独房では比較的自由に過ごすことが許され,元来読書好きだったマイナーは,たまたま本に挟まっていた1枚のチラシを目にします。それが用例カード募集の告知だったのです。
▼このようにして,マイナーとマレーという二人の主人公の結びつきが始まりました。マレーとマイナーが初めて対面したのは1891年1月のことで,彼らはその後,20年近くの間,定期的に会って交流するようになりましたが…。この後のことについては是非,本をお読みください。
▼そして,この本は昨年,映画化もされました。残念ながら日本での上映は未定ですが,このような予告トレーラーをYoutubeで見ることができます。
"The Professor and The Madman"
▼また,DVDも発売されているようです。
▼さて,OED に関してもう1冊,本を紹介したいと思います。『博士と狂人』が OED の「入口」ならば,こちらは OED の「出口」と言っても良いでしょう。
アモン・シェイ『そして、僕はOEDを読んだ』
▼辞書マニアの筆者が,あの膨大な OED を第1巻から最終巻まで「読破」し,その中に登場した面白い単語をとりあげ,ユーモアたっぷりに解説を施した本です。ちなみに,前書きの一部分がある私立大学医学部の英文読解問題で出題されたこともあります。
▼ということで,今回は Oxford English Dictionary にまつわる2冊の本の紹介でした!
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