文芸批評を読む。『群像』2023年9月号
工藤庸子「文学ノート・大江健三郎」『群像』2023年9月号
1970年代からの蓮實重彦を読みながら、大江健三郎とも絡めて批評を解説している。批評を読んだのは久しぶりで、話題がなだらかにスライドするので捉えにくいところがあったが、少し時間をかけて集中して休憩しながら読んだ。やっぱり紙の雑誌は良い。いずれ反時代的と言われるのだろうが。
後半で蓮實と大江が、フロイト、マルクスを拒否しながら彼らの営為を紡いでいったというところは時代を感じさせる。例えば、柄谷行人であれ、サイードやスピヴァクが、思想の源泉として明示的にであれ暗示的に参照してたであろう20世紀の思想の2023年の意義とは何か。つまり、批評における多文化主義の問題の認識が必要であろう。私もトロントでポストコロニアル批評を学んで強く意識した。
読んでいて、蓮實の『表層批評宣言』が思いの外ポストモダンな内容なにの驚いた。というか、蓮實の書いたものは理解が難しく文章を追うことを途中でやめていたかもしれない。表層で戯れるというのは、ポストモダンとして現在では批判されるものであるだろう。浮遊するシニフィアンが政治的に取り込まれるということは、ラクラウも書いていたのではないだろうか。
これから書かれるのかもしれないが、20世紀思想は、フロイト、マルクスだけでなく、もう一つ?の思想であるソシュールに代表される記号と言語の問題はどうなのだろう。