【読書】「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」 河野啓 (2023年)集英社
栗城史多(くりき のぶかず)はエベレストへの登頂をめざしていた。
単独無酸素での七大陸最高峰登頂を目指した中で、最後の最高峰が世界一の高さであり、最難関であろうエベレストだった。
栗城は2018年にエベレストへの8度目のチャレンジの最中に亡くなった。
35歳だった。
栗城のチャレンジを取材したことがあった著者が、栗城の人物について、チャレンジについて検証したノンフィクションである。
元々利害関係があった人が検証を行うと、批判的になる。
ただ、著者はそのことを隠そうとしていないし、取材した人の話を入れることで中立との間を揺れ動いている。
僕は栗城のことは、登山者として、とか、ビジネスマンとして、とかを抜きにして、一番を目指したかったということはよく分かる。
一番になるために手段を選ばないこともよく分かる。
そのために命をかける、というのもよく分かる。
ただ、ありきたりな言い方だけど、一人では成し遂げられないということを本当に理解していたのかどうか。
でも、今は偉そうに言っていても僕が35歳の時にも分からなかった。
僕はスポーツに関わっていこうとしていた35歳の時に起業しようとして大失敗した。
大怪我にはならなかったから、今こうして評論家みたいに栗城のことを書いているけど、栗城は僕とは比べられないスケールで人を巻き込み、お金を集め、やりきっている。
8回目もエベレストにチャレンジしているのだ。
スタッフがいて、周りに人がいたはずだけど、結局一人で成し遂げようとしたと思う。
成し遂げるというより「俺が、俺が」かな。
最近、YouTubeで聞いたことがある。
岡田斗司夫というこれもまた、ある意味すごい「俺が」に見える人が言っていたことだけど、芸能やらスポーツの世界では、最後に一人になって笑われても平気な人が残っていく。笑わせるようとする人は疲れて消えていってしまう、と。
栗城はなんとか人に笑ってもらおう、受けようとした人なんだな。
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