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『アレック・ソス 部屋についての部屋』についての話

“マグナム・フォト”という世界的な写真家集団がある。その名を聞いて私が連想するのは、アンリ・カルティエ=ブレッソンとロバート・キャパだ。実際にこの2人とジョージ・ロジャー、デヴィット・シーモアが創設した集団である。“世界的な”としたが、日本人では久保田博二さん以外に会員となっている写真家はいない(現在)。由緒正しいからこそというか、正会員になるまでに時間が掛かるのか、比較的に会員は年齢が高いイメージがある。その中でも若い層であろう1人がアレック・ソスだ。東京都写真美術館で2025年1月19日まで『アレック・ソス 部屋についての部屋』が開催されている。



モーメント

本展示は、テーマごと6つの“部屋”に分かれている。ご本人のインタビューを読むと、普段からカメラを持ち歩くようなスタイル(例えばブレッソン)ではなくプロジェクトごとに機材を決めて撮影していくそうだ。それに使用しているカメラは8x10(大判)が多いらしく、確かに常に持ち歩くわけにいかないだろうなと思った。私は会社員であり写真家ではないのでボケーっとカメラを“携帯”しては撮影するのみだが、こうしたアプローチでの作品制作は興味深い。かの『決定的瞬間』は外へ出ないと出会えない“瞬間”だろう。一方、室内でそれを撮ってしまえるのがアレック・ソスなのかもしれない。

ここからは全く関係ない話になる。すっかり季節が秋または冬に変わり、天気が良い日は自室に綺麗な陽が射す。夏のそれとは違い、丸みがあり温かい感じ。それが窓際に置かれた多肉植物たちに降り注ぐのだが、その様がとても美しく見えた。なので咄嗟にカメラを掴んでシャッターを切ったが、掴む前の美しさはそこになかったのだ。陽射しは微妙な雲の位置で変わる。それはまさに私が《瞬間を逃した》ということなのだと思う。決して人物だけではなく、静物にもそれが存在する。さらに加えるならば、時は誰かと共有が可能だか瞬間はそうでもない。当然だが、意外と日常では忘れがちである。


that place is burning

私としては“Room 5”がとても印象的だった。本展示が生まれるきっかけとなったらしい『I Know How Furiously Your Heart is Beating』というシリーズの作品たちが展示されている。人か静物か、という以前にすべてが“どこかに存在している部屋”で撮影されている作品群だ。それらを眺めているうちに、こちらの部屋からあちらを覗いているような気分にもなった。これもまた関係ない話だが、このタイトルを見てKID FRESINOの『that place is burning』という曲が浮かんだ。その理由の言語化は正確に出来ない。おそらく“is ~ing”だからだと思うが、何となくそれだけでもない気がしている。瞬間。


これまで

付録

「逃した魚は大きい?」

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