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【虚往実帰】心が軽くなる白秋ゼミ
心が軽くなるゼミの魅力
白秋ゼミに参加すると心が軽くなる。なぜ心が軽くなるのかと言うと、楽しくて仕方がないからだ。ゼミでは何かを先生から教わることはなく、テストもない。あるのはテーマが決まっていて、そのテーマについて活発にコミュニケーションをするだけ。その中から自分の考えに照らし合わせて、自分に合った知識を深めていく。
知識を深めるということ
知識を深めていくと、考え方の種類が増えていく。考え方を増やす方法は、他者の視点、つまりその人の立場になって考えてみることだ。例えば、自分では思いつかないアイデアでも、人から意見を聞くことで、自らが思いもつかなかった独創的なアイデアが出てくる。昨日のゼミでは、書初めのテーマが「今年の標語」となっていた。私を含めてゼミ生たちはポジティブなことを創造していたようだが、まさかのネガティブワードを書くことになった。これも思い込み(認知バイアス)によるものだ。さらに、ネガティブなワードも人それぞれで、悩みも多岐にわたる。こうして様々な意見を聞きながら、その人の立場になって、なぜそうなるのかを考えることで、考え方の種類が増えていくのだ。
人との違いの楽しさ
他者の視点と自分とのギャップに楽しさを感じる。それは落語のようなものだ。落語は自分の創造した結果との差に面白さを感じて笑う。最後の落ちは腑に落ちる「なるほど」と納得して関心することもあるだろう。しかし、思いも寄らなかった結果の時に笑いが起きるのではないか。書初めも同様だ。例えば「希望」「明るい未来」「日々是好日」など期待や教訓を書いて清々しい気持ちになるかもしれないが、笑いは起きない。しかし、「老化」「物忘れ」「低空飛行」といったネガティブな言葉だと、「何それ!」とおかしな気持ちになる。そんなバカバカしい標語に知恵を絞って大人が真剣に取り組む様子が、さらに笑いを呼ぶのだ。
全力で遊び楽しむ
ここまで来ると、ゼミで何を学んでいるのだろうかという疑問が湧く。しかし、確実に学んでいるのだ。それは楽しむという態度をここで学ぶからだ。だからといって、誰からでも同じように学べるわけではない。それは「教える技術」を教える向後先生という存在の力によるものだ。向後先生はインストラクショナルデザインという授業設計のプロである。教えると言っても、その人の持っている能力を引き出し、自ら学び取る態度を身に着けさせるプロなのだ。どういうことかと言うと、一方的に知識を教え、知識が記憶として定着しているかの確認をするテスト形式で教えるのではなく、その人が学びたくなるような内容を提供し、自主的に学び、その学びが生活に活かされるということだ。この態度を身に着けるために、楽しむことが大切なのだ。
虚往実帰
向後先生のゼミに参加すると、帰りはいつも楽しく満たされた気持ちで帰る。受講生の大半がそうではないだろうか。帰途でも受講生同士の会話は続き、ゼミで楽しかったことや悩みを話して心を軽くして帰る。弘法大師空海が師である恵果和尚の碑文に記した「虚往実帰」という文章がある。これは、苦悩しながら虚しい心(無知)で恵果和尚の門に入ったけれど、師から学び取り身に着けた思考(知恵)が心を満たして門を出ていくという意味だそうだ。(現在この碑文が高野山大師教会本部に建てられている。)このように、向後先生はゼミ生の師であり、虚往実帰を体験させてくれるありがたい存在である。 向後先生、今日もありがとうございました。
虚往実帰(きょおうじっき・虚しく往いて実ちて帰る)
弘法大師空海の師 恵果和尚の人柄を偲ぶ賛辞
和尚は貧者を救うには財を惜しまず悩める者には慈しみの心を尽くされたといいます
遠くから近くから数多の人が和尚のもとを訪ね、その人たちはひとり残らず実ち足りた心となって帰られたという
弘法大師空海の師に対する気持ちがこめられたことばです。